私の「お地蔵さま」理論 ―外国人に日本について質問されて・・・
私がグローバルマインドの必要性を強調する時の、たとえ話として15年間繰り返し使ってきたのが、私流「お地蔵さま」理論です。大学の新入生が友達同士で週末に郊外にハイキングに行ったとします。その時、仲間の中にいた留学生に道端のお地蔵さまについて、「これ、何?何のため?」と聞かれたとします。
日本人だけのグループだと、おそらくは出てこない話題ですね。まったく予期しない質問で、さあ困った!どう答えましょう?「名前はお地蔵さまというのだけど、・・・うーん、えーっと・・」となってしまう公算大ですね。日本語でも考え込んでしまう質問を、英語で回答出来ますか?日本人であっても、誰にとってもかなり難しいことですね。「今晩ネットで調べておくから、明日、また教えてあげる」と時間稼ぎし、翌日、次のように答えられれば上出来でしょうか。
Jizo, or more precisely Jizo Bosatsu, is a Buddhist guardian deity who is believed to protect people, especially children and travelers. Stone statutes of bald-headed Jizo, either standing or sitting, seen here and there at country crossroads all over Japan, hold a metal stick in his right hand and a string of beads in his left hand. They are seen sometimes in places where there used to be traffic accidents or something before.
(お地蔵さま、より正確には地蔵菩薩は、特に子供や旅人を守るとされている仏教の守り神です。日本のどの地方でもあちこちの四ツ辻に置かれていて、頭は丸坊主、立像か座像の石像で、右手に錫杖、左手に数珠を持っています。かつて交通事故などがあった場所に祀られていることもあります。)
この英文のなかで一番難しい単語はおそらく deity でしょう。ネイティブスピーカーでもほとんど使うことのない単語です。例によって、ラテン語からフランス語を経由して来た言葉です。「ディアティ」と発音し、「神格」「神性」などと言う意味です。こんな高尚な単語が使いにくかったら、ごく単純に「シンボル」などと置き換えていっても、相手は理解してくれるでしょう。
あるいは留学生と日本の宗教について歓談していて、「日本って、キリスト教徒は迫害されてるの?それとも彼らが日本を牛耳っているの?」と聞かれたとしましょう。これも大半の日本人にはまったく予期出来ない質問で、人生でほとんど考えたことも無い類の疑問だろうと思います。
日本のキリスト教徒の人口比率は、たかだか2%であり、歴史的経緯からクリスチャンが多い長崎県でも4%程度と言われます。アジアではフィリピンや東ティモールは言うに及ばず、お隣の韓国やベトナムといった国と比べても、日本のクリスチャン人口比率は低いのです。日本全体が超世俗的な社会ということもあり、誰がキリスト教徒かということも、ほとんど知られず話題にもならないことが多いです。神道や仏教が主流の国ではあっても、結婚式をキリスト教的に挙げたり、年末に向けて国中がクリスマスムード一色に染まったり、宗教的には非常に柔軟で寛容な国です。しかも、日本は進学、就職などの場面で、公正な実力主義が浸透しており、 キリスト教徒だからと言って、優遇も冷遇も全くされていません。キリスト教の大学が幾つもありますが、入学試験さえ突破すれば、誰でも入学できます。歴史的には布教の段階で、大名は別としても、最下層の人々が多くクリスチャンに改宗したことも事実ですし、要するにキリスト教徒が支配層を占めているわけでもなく、逆に差別されているわけでもないということです。以下のような英語の説明でおよそ理解してもらえるでしょう。
Christian population's ratio is less than 2% of Japan's total population, and no body cares who is Christian or who is not, reflecting its highly secular nature of the society. Also, a very high level of meritocracy system prevails in school's enrolment, company's recruitment, etc., and, therefore, being a Christian is neither advantageous nor disadvantageous in whatever terms. In short, Christians are not ruling Japan nor are ruled or discriminated in Japan at all.
(日本のキリスト教徒の割合は2%にも満たず、社会が極めて世俗的なこともあり、誰もどの人がクリスチャンであるか否かなど気にしません。しかも学校や会社なども非常に厳密に成績重視で人選するので、いかなる意味においても、クリスチャンであることがメリットになったりハンディキャップになったりすることはありません。要するに日本では、クリスチャンが社会を仕切っているわけでも差別されているわけでも全くありません。)
いずれにしても、普通に日本にいて日本人同士だと、当たり前すぎて話題として取り上げない話題や事柄が多くなります。しかし生活環境の中に外国人の友達がいたり、海外旅行等々で、異文化の要素を取り入れると、突然、違いを感じて考え始めることになります。そして改めて気づくのは、日本語ですら説明できないものを、英語で説明出来る筈がないという、いとも当然な事実なのです。
海外に一度出ると、日本で普通に暮らしているだけでは分からないことも意外と多いものです。例えば自動車教習所について。日本では、高校3年が終わる頃、あるいは大学生になってからの最大の関心事の一つは運転免許ですね。当然、皆が教習所へ行き、今なら一か月以上、30万円くらいもかけて運転免許を取るのでしょう。合宿訓練という手もありますが値段は似たり寄ったり。
でもそもそも教習所という制度、世界では本当に珍しい制度であるとご存じだったでしょうか?アメリカにもヨーロッパにもありません。アフリカにある筈がないですね。アジアでそれに似通ったものがあるかどうか・・・。要するに教習所というもの、世界にはほとんど無いということです。アメリカなら、週ごとに詳細は変わるでしょうけど、カリフォルニア州なら、30ドルで免許を取れ、それはペーパーテストを受け、自分の車で実施試験も受け、合格したら、写真を撮り、免許を自宅に郵送してくれる全部の経費込みです。日本の百分の一の費用ということです。ちなみに私が40年近く前にカリフォルニア州で免許を取った時は、確か3ドル25セントでした。当時のレートで約3千円。今と変わりません。将来アメリカに留学予定があれば、免許はアメリカで・・・と考えてもいいですね。
たいへん結構な社会勉強になります。
もう一つの事例は例えば就活です。日本人学生に、世界では、日本のような就活は無いんですよというと、全員が目を丸くして、驚きます。世界では、空きポスト補充が大原則で、そのポストに即戦力を求めるので、若い人を雇って何カ月も研修を施すなどということは有り得ません。いきおい求めるのもよりシニアな層になり、反面、若者は失業に喘ぐことになり、より上の学歴や資格を求め、研鑽を続けるということになります。学生時代のある時期に、同期の大学生が、よーいドンで就活レースに入り、ある時期に内定が出て、卒業後の4月1日に入社式に新入社員が全員スーツ姿で着席、社長から訓示が・・・などという図は世界には無いのです。入社式の映像を外国人が見ると、逆に目を丸くして驚くでしょうね。日本は実にユニークなのです。世界では普通、履歴書(résuméとかCVとか言います)に写真を貼ったりしません。そうだからこそ、ソニーのように、世界標準に即して、通年採用を行ったり、大学名を問わないといった採用方法が、目を引くわけですね。
以上のような一度海外へ出ないと実感できないような日本と世界の違いを知るというのが、何故有用かというと、日本の運転免許が取れなくても、日本式の就活に失敗しても、ものの見方に余裕と多元性があるため、一歩離れて客観的に、それで世界が終わるわけではないと冷静に考えることが出来、その他の方法を追求できるということなのです。仮に人生に行き詰って、「もう死にたい」と思っても、ちょっと大袈裟に言えば、宇宙空間から地球を見れば、地球上で夜のところもあれば昼のところもあり、雲がかかっているところもあれば晴れのところもあります。人生、山あり谷ありかと思えば、目から鱗が落ちるというか、むしろ発想の大転換が出来ますね。
いずれにしても異文化に触れて、「何故、あれはそうなの?」「外国って違う!」と考えることが、グローバルマインドを育み、同時に頭脳を鍛えます。
例えば、よくユダヤ人は優秀だと言います。一つの理由として、祖国を失い、離散し生き延びたいろんな国で、周囲に埋没、同化することなく、ユダヤ人として生活していて、常に周囲との違いや自分たちの特異性を意識する生活環境にあるからと説明されることがあります。まんざら荒唐無稽な説明でもないのではないでしょうか。
理想は海外に行ったり、異文化環境のなかに身を置けば一番良いのですが、仮に日本に生まれた日本人が普通に国内にいる場合であっても、自分を敢えて異邦人の立場において、世の中や周りを見つめ、変だと思う事、気になることを気に留めて、考える習慣をつけていると、神経が研ぎ澄まされてきて、頭脳もしなやかに逞しくなっていきます。
いずれにしても他国や他民族、他人との違いに気付き、それを楽しみつつ何故かと考え、そしてそれを例えば英語で説明しようとすること、そういうグローバルマインドこそが、遠く見えて、案外、グローバル人材や英語への近道なのです。 (続く)
タイトル 『目から鱗! 気分を変えて英語に向き合う処方箋!』 ~ 理想や虚像に幻惑されないで、足元から着実に ~
千葉大学教授 小川秀樹 (国際社会論・グローバル人材論)
1956年生まれ。79年、早稲田大学政経学部卒業、ベルギー政府給費でルーヴァン大学留学。国連ESCAP(バンコク)、在イスラエル日本大使館勤務等を経て、横浜国大大学院博士課程修了。岡山大学教授等を経て、2016年より現職。
著書に『ベトナムのことが3時間でわかる本』(明日香出版社)、『あなたも国際貢献の主役になれる』(日経新聞社)、『ベルギーを知るための52章』(明石書店)、『学術研究者になるには 人文社会系』(ぺりかん社)、『国際学入門マテリアルズ』(岡山大出版会)等、多数。