「できる!」ビジネスマンの雑学
2025年02月10日
[953]日本最古の星座図か?吉野ヶ里遺跡の石棺墓

 日本の古代史研究を塗り替えたと評される佐賀・吉野ヶ里遺跡。2023年には新たに調査を始めた区画から石棺墓が見つかりました。その墓を覆う石蓋の裏面には無数の線刻が描かれていました。

 当初は儀式に必要な呪術文様かと思われましたが、「×」印の配置から星座を石に描いたのではないかとの仮説も生まれました。

吉野ヶ里遺跡発掘/石棺墓
"×"(バツ)の意味を最新の考古学・天文学から読み解く
NHK/クローズアップ現代 公開:2023年7月4日(火)午後2:52 更新:2025年1月28日(火)午後4:52)

 以下の記事では星座と思われる図解が詳しく紹介されています。

卑弥呼も見た夜空? 吉野ケ里の石棺墓の×印に新説「これは星図」
朝日新聞 2025年2月9日

 そして昨年12月、研究者のシンポジウムでより踏み込んだ仮説が紹介されました。

 漫然と星座を描いたのではなく、「天の川や夏の大三角形が見られる夏の夜空と重なる」星座を描いたものと国立天文台情報センターの高田裕行研究員が発表しました。

吉野ヶ里遺跡の石棺墓に刻まれた線 "星空描いた可能性"
国立天文台天文情報センターの高田裕行専門研究職員は、墓に刻まれた線でできたばつ印を星と見た場合、天の川や夏の大三角形が見られる夏の夜空と重なるという仮説...。
佐賀 NEWS WEB 2024年12月15日

 また、「土星と木星と火星、おとめ座の1等星のスピカ、それと月の5つの天体が1か所に集まった珍しい星空を描いた」とすると「西暦214年6月30日の天体現象」(前出の朝日新聞記事より)の可能性があることまでわかりました。

 さらに記事にあるように、舟形の線刻まで見つかっています。筆者の想像に過ぎませんが、もしこの舟形が死者を天の川に運ぶ役目であったとすれば、当時の死生観すら見えてきます。ひょっとすると、古代エジプトにあったような葬送の儀式が日本にもあったのかもしれません。
 日本の七夕の伝統は中国由来と言われていますが、星に寄せる想いはすでに弥生時代から育まれていたのかもしれません。

25021001.jpg

 夜にしか見えない星座を巨大な石蓋に描くのはそう簡単なことではないはずです。紙や鉛筆はおろか、明るく照らす照明すらない時代です。
 筆者が思うに、最初は夜空の星を見ながら星座の位置関係を平らな地面に描き写します。翌朝、地面の星座を参考に近くにおいた石蓋に炭などで下書きします。あとは時間をかけて石を刻んでいったのかもしれません。想像しただけでロマンを感じるのは筆者ひとりでしょうか。

 ■

 筆者が見た海外のドキュメンタリー番組では、ネアンデルタール人が石に描いた線図でも、驚くような仮説が唱えられています。石器を拾った考古学者がその場所の山並みを眺めたところ、そこにある稜線と線図が一致していたのです。さらに近くを流れる河川らしき線も石に描かれていました。

 考えられるのはこの線図を使ってどこで狩りをするのかや、獲物が集まる場所を教えたりするガイドブックのような役目としてこの石が使われていたのではないか。いまはまだ考古学者の仮説に過ぎませんが、古代人が線画ひとつにこめた思いは必ずあるはずと主張しています。

 もちろんそれを証明するものは何も残されていません。

 筆者としては吉野ヶ里の石棺墓が配置された方角を知りたいですね。もし石に刻まれた天の川と夜空の天の川の方角が一致していれば、少なくとも日本古代に天文学があった証拠となるでしょう。

 現代にあってデジタルツールを縦横に使いこなすわたし達は、AIすら手にして人類最高の英知にたどり着いたと思い上がっていないでしょうか。
 古代の人であっても現代人と同種のホモ・サピエンスです。彼らもわたし達とたいして違わない頭脳を持っています。ただ過去から受け継いだ知識の量が少ないだけ。
 古代人が描いたものだからとるに足りないと思いがちですが、彼らはその時の最高の智恵を絞り出して、今に伝わる記録を残しているのです。

 わたし達現代人は遠い昔の先祖が残した遺構から、大切な想いやかすかな記憶を感じ取れなくなっているだけなのです。
(水田享介)

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