「できる!」ビジネスマンの雑学
2023年11月06日
[840]愛媛・愛南町の「紫電改」に新しい展示館

 旧日本海軍が太平洋戦争の末期、本土防衛のため送り出した戦闘機「紫電改」。日本に現存する機体は、四国・愛媛県の愛南町にある一機だけです。

 この機体は、敗戦間近の1945年7月、米軍機と激しい交戦の末、愛南町近くの海に没したもので、1979年(昭和54年)に海底から引き上げ、修復されました。今は海を見下ろす山頂の展示館に静かに翼を休めています。

 その展示館がこのたび建て替えられることになりました。

旧日本海軍の戦闘機「紫電改」 新たな展示館の概要案
愛南町にある太平洋戦争末期の旧日本海軍の戦闘機「紫電改」の展示館は県営の施設で、国内で唯一、現存する機体を展示しています
NHK/愛媛NEWS WEB 2023年9月7日)

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※現在の展示館外観

 筆者はこの春(2023年4月)、この展示館に訪れました。松山市と高知市のほぼ中間地点ということもあり、なかなか訪れる機会がなく、もうこれ以上放ってはおけないと、コロナ明けの重い腰を上げた次第です。

 宇和島市から市バスに揺られること1時間半。バス停からはレンタサイクルで向かいました。松山駅か宇和島駅でレンタカーを借りれば楽に行けたかもしれませんが、公共交通で行けるか確かめる目的もありました。

 1945年7月24日、この紫電改は長崎県にあった大村基地を飛び立ち、米軍艦載機との激戦(一説には敵機二百機対十六機という)の末、この近くの海に不時着水しました。この愛南町に機体があることには大きな意味があります。

 宇和島市でもこの紫電改のことを知っている方は、もうあまりいないようでした。すでに忘れられた存在かもしれない。訪問者も数えるほどしかいない展示館で筆者はそう思っていました。

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 しかし、展示館建て替えの報道記事の中にこの機体についてしっかりと取材、記事にした新聞がありました。

<上>海中から機体 進む腐食
 太平洋戦争末期に製造され、国内では唯一、愛南町に機体が残る旧日本海軍の戦闘機「紫電改」。...機体を残そうと奮闘した技術者や、搭乗員とゆかりのある来館者を追った。(長尾尚実)
読売新聞オンライン 2023年10月5日
https://www.yomiuri.co.jp/local/ehime/feature/CO068956/20231005-OYTAT50007/

<中>象徴の主翼 往時の姿に
読売新聞オンライン 2023年10月6日
https://www.yomiuri.co.jp/local/ehime/feature/CO068956/20231006-OYTAT50004/

<下>搭乗員の思い 継ぐ使命
読売新聞オンライン 2023年10月7日
https://www.yomiuri.co.jp/local/ehime/feature/CO068956/20231007-OYTAT50007/

 決して交通の便が良いとは言えない公園の一角に、再び展示館が建てられます。鎮魂の意味を込めた機体保存ですから、賑やかな場所に移す必要はないでしょう。

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 なお、パイロットは誰なのか。引き上げたとき操縦席には遺品も含め何も残っていなかったため、真相は謎のままです。

 当日の出撃記録から未帰還者6名は判明しています。機体を破損させずに見事な着水を決めたことから、ベテランパイロットだろうと、二人の名パイロット、鴛淵孝大尉、武藤金義少尉の名前をあげる人もいます。

 1943年、青森県十和田湖に一式双発高等練習機が着水しています。こちらの機体も引き上げられたとき、ほぼ完全な状態でした。このとき飛行目的は操縦訓練でパイロットは練習生でした。

 命がけのいざというとき、技量の良し悪し、経験の差だけでは測れない、未知の何かの力が出るのかもしれません。

「三四三空」の実像を追う・第3回後編
...われわれ三四三空の戦友会でもそんな結論は出していないし、あくまであれは、6機のうちの誰か、不明のままなんです。特定はしない。
現代ビジネス・神立尚紀 2021年7月31日)
https://gendai.media/articles/-/85465?imp=0

 パイロットは6名のうちの誰か。今となっては、それでいいのかもしれませんね。

  ◆

 筆者が展示館に向かう途中、思いがけないことが起こりました。自転車で山登りの末にようやくたどり着こうかというタイミングで、なぜか前方、頭の上近くに一羽の鷲(もしくはトンビ?)が現れ、 筆者の行く先を導くように併走飛行してくれました。

 鷲は自転車と同じスピードを保ちながら、展示館が見えるまで飛び続けると、ぷいっとどこかへ飛び去っていきました。

 何度思い返しても、不思議な体験の旅となりました。(水田享介)

※写真はすべて筆者撮

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