筆者が子どもの頃、小中学校で次のように教えられていました
「日本列島はほとんどが山です。耕作に適した平地が少なく食糧の自給は見込まれません。加えて天然資源もありません。」
これに続けて、教師は必ずこう畳みかけてきました。
「日本人が生き残るには他国より余計に働くしかありません。勤勉に働かなければ食べていけません。それしか方法がないのだから、さぁ、勉強しなさい」
理屈は通っているため、子どもだった筆者は何も言い返せず、好きでもない勉強をさんざんやらされた記憶しか残っていません。
しかし、最近のニュースを見聞きするに、先生方が言っていた大前提、「日本は資源のない国」説が間違っていたことがはっきりしました。
青ヶ島沖の深海から高濃度の「金」回収成功 銀も吸着 今後は?
研究グループはおととし(2021年)8月、青ヶ島沖の熱水噴出孔の周辺にこのシートを設置...。
分析の結果、シートには最大でおよそ20ppm=1トンあたり20グラム相当の「金」が吸着していて、これは世界の主要な金山の鉱石に含まれる金の濃度のおよそ5倍にあたる...。
さらに金だけでなく「銀」も最大でおよそ7000ppmと「金」の300倍以上の濃度で吸着できていた...。
(NHK NEWSWEB 2023年10月19日)
青ヶ島は東京都の中にある島です。つまり、東京都内に金銀の大鉱脈が眠っているのです。
これだけでもすごいのですが、一般の鉱山の何倍もの高濃度であるので、回収方法を少し工夫すれば、世界有数の金鉱山、銀鉱山-いえ、海ですから金鉱海、銀鉱海が誕生するかもしれません。
このニュースだけなら、ただの夢物語のように読んだ方もいるでしょう。
※天正年代期(1570~80年)古丁銀『大日本貨幣精図』(明治12年刊)[国立国会図書館デジタルコレクション]
しかし、日本には過去には金を再発見した歴史があります。日本が戦争に明け暮れていた昭和のはじめ頃、金を掘り尽くしはずの佐渡に大規模な金脈が放置されていることがわかりました。
佐渡島の海岸には江戸時代に金を採取した後の土砂、がれきが大量に捨てられていました。それを昭和になって調べたところ、土石の中にも金が存在していたのです。江戸時代の技術では取り出せなかった金も近代的な製錬技術で容易に精錬・抽出できることが判明したのです。
実は、佐渡金銀山のピークは1940年の戦時大増産期であり、江戸時代の数倍の産出量だったと記録に残っています。
『再発見!!佐渡金銀山』
「佐渡金銀山の金銀産出量 推定」グラフ(24ページ)を参照
(新潟県・佐渡市発行 平成27年11月発行)
https://www.sado-goldmine.jp/wp-content/uploads/2017/09/f1ca99c52df3d12ddd52ac2f53e56013.pdf
惜しむらくは、その収益のほとんどは(おそらく)戦費として使われたため、日本国民を潤すことにはつながらなかったようです。
これと同じような「金の無駄遣い」が、幕末から明治初期にかけて起こっています。世界金市場と日本国内では金と銀の交換率が違うことに外国人商人に目を付けられて、日本から膨大な量の金が海外に流出してしまいました。
江戸時代に吹き荒れた貨幣資源の海外流失の危機とは?
マルコ=ポーロの『東方見聞録』では日本は黄金の国と紹介されている。だが、今の日本に金はない。いったい黄金はどこに行ったの?
(歴史人/【江戸時代の貨幣制度 第7回】・加唐 亜紀)
※天正年代期(1570~80年)弐分判金『大日本貨幣精図』(明治12年刊)[国立国会図書館デジタルコレクション]
※萬延元年(1860年)大判金『大日本貨幣精図』(明治12年刊)[国立国会図書館デジタルコレクション]
本当に日本は資源のない国だったのでしょうか。いえ、世界有数を誇った資源はあったが、日本人にはそれを活かす指導者や財界人に恵まれていなかったというのが正しいのかもしれません。
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日本はいまもジパング(黄金の国)であると筆者は思っています。
というのも日本ではアメリカと同時期の1970年代からコンピュータ革命が起きました。そして大量のコンピュータ、マイコン(マイクロコンピュータ)が市場に溢れた歴史があります。また、スマホに駆逐されましたがケータイも一時は必需品になり、日本中にありました。
いまでは使われなくなった電子機器が大量に眠っているのが日本です。その電子基盤にはわずかですが金が使われています。
不要品、廃品と思われるこれらから貴金属を取り出すのが「都市鉱山」といわれ、東京オリンピックでもメダルの材料として使われた経緯があります。
これからの資源は、海底や温泉、火山はもとより、都市に眠る廃棄物や大昔に捨てられたゴミの中から見つかるかもしれませんね。(水田享介)