昨年の冬、書店に出向いて購入した「天路の旅人」(著者:沢木耕太郎)を、半年掛かりでようやく読了しました(総ページ数、574ページ)。
この本はタイトル通り、ある人物の旅の記録を追いかけたドキュメンタリーですが、ただの旅ではありません。
時は1943年(昭和18年)、場所は内蒙古、北京の北に位置する張家口(現在の河北省張家口市)からひとりの日本人青年が密命をおびて、中国大陸奥地に向けて出発します。
男の名は西川一三。日中戦争のさなか日本陸軍の「密偵」なった西川はラマ僧と偽り、修行の旅と称して、中国大陸の奥へ奥へと諜報活動を続けていきます。
しかし、その密偵の旅も2年後、日本の敗戦で唐突に終わりを告げてしまいます。
今の私たちからすればもう諜報の意味はなくなったので、中国軍か中国共産党に投降すればいいのではと考えますが、当時の状況はそう簡単ではなかったようです。
情報の少ない中、下手に投降するとあらぬ疑いを掛けられ投獄されたり命を奪われる可能性すらありました。
では、西川はどうしたのか。僧侶として未熟であることを感じた西川は、このまま修行の旅を続けることを選びます。
ラマ僧であるからして、必然的に聖地ラサを目指さざるを得ません。北京にほど近い河北省からチベットまで、ほとんど徒歩で中国大陸を横断することとなります。
勤勉な性格と多言語(英語、中国語、チベット語など。日本語はわからない振りをするしかない)を理解することから、行く先々の寺院で便利に使われ、時には高僧に気に入られ弟子入りを勧められます。僧侶としてこのまま一生を終えるかもしれないと思うようになります。
それを阻むものがありました。蒙古人という出生に疑いをかけられます。日本人という根幹を隠し通せなかったのです。心機一転、新天地のインドに向けて旅立ちます。
西川は密偵を始めた当初、銀や紙幣を大切に隠し持ち、この財産を頼りにお金の範囲の中で生活し旅程を立てていました。
ところが、修行僧ではお金を稼ぐことはほぼ不可能です。密偵時代に持っていた銀貨や紙幣もあらかた失い無一文となりますが、それでも修行を騙る旅を続けます。
大日本帝国も日本陸軍も消失し、戦後の日本がどうなったのかもわからないままの旅を、西川はなぜ続けたのでしょうか。
インドにたどり着いた西川は病に倒れ、物乞いをして生きるしかなくなります。そして頼りにできるものは自分がこれまで偽ってきたラマ僧という身分であり、チベット仏教であることにようやく気がつきます。
そのとき、はじめて彼は偽りの僧侶を止め、本物の僧として生きることを選択します。
僧侶となって行く先々で喜捨を受けながら旅を続けるにはどうすればいいのか。その術(すべ)を獲得した西川は、ようやく自由な旅を手に入れました。本当の旅とはこういうものかもしれない。そう思わせるほど西川は生き生きと輝き始めます。
西川が手にした旅とは、それは放浪でも物見遊山でもなく、社会的地位や国からも解き放たれた、旅そのものだったのかもしれません。
旅とは何か。読む人に旅について深く考えさせる希有な旅の本となっています。(水田享介)
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■参考サイト
沢木耕太郎が25年かけて書いた密偵の長大な旅路
彼が「天路の旅人」を何としても世に出したかった訳
(東洋経済オンライン 2022年11月30日)
https://toyokeizai.net/articles/-/635106