来週月曜日の6月19日は「桜桃忌」。作家・太宰治の命日と記憶している方も多いでしょうが、実はそうではありません。
太宰治は1948年6月13日頃、当時住んでいた三鷹市付近の玉川上水に愛人と共に身を投げて自殺しました。いわゆる心中自殺でした。享年39歳。しかし、いつ入水し亡くなったのか、正確な日時はわかっていません。
では、6月19日は何があった日でしょうか。
当時の新聞によると6月19日午前8時50分頃、太宰治らの遺体を通行人が発見したとあります。桜桃忌とは太宰が亡くなったことが確認された日だったのです。
もうひとつは、奇しくも6月19日は太宰の誕生日でもあります。
※初夏の玉川上水(筆者撮影)
太宰が生きていた時代を今も伝える店舗があります。太宰がひいきにし、たびたび使っていたうなぎ屋の「若松屋」です。
太宰治ゆかりの店 "昭和の文豪が愛した味" 若松屋
実は亡き初代が戦後、三鷹駅前(現在マクドナルド隣)でうなぎ屋の頃、太宰治が仕事のあとや編集者との連絡場所としてよく立ち寄った、贔屓店でした。
また太宰治を尋ねに作家が多数訪れていたそうです(井伏鱒二・壇一雄・吉本隆明・・・)
(国分寺市商工会/公式サイト)
公式サイト内の思い出話では、初代ご主人が玉川上水から太宰を引き上げたことなどが語られています。おそらく一週間近く捜索していたようですから、店と客の関係にとどまらない厚い交遊があったことがうかがえます。
現在の若松屋は、国分寺駅の南に引っ越しています。筆者は以前、若松屋のうなぎをいただいたことがあります。炭火で焼いた香ばしいうなぎはとてもおいしかったです。
「太宰が生きたまち・三鷹」
太宰治は、1939(昭和14)年9月から1948(昭和23)年6月まで三鷹で暮らし、
「走れメロス」「斜陽」や「人間失格」など、珠玉の名作を数多く世に送り出しました。
(三鷹市/公式サイト内)
https://www.city.mitaka.lg.jp/dazai/index.html
三鷹が終焉の地となった太宰治ですが、筆者が住む多摩地区では太宰の評判はあまりよろしくありません。
もともと多摩地区一帯は河川がなく、江戸時代まで人も住めない一面薄が原の荒れ地でした。江戸初期に人力で水路を掘り、多摩川の水を引いたのが玉川上水です。旅人も馬も行き倒れる荒野の多摩に人が移り住み、新田が開拓され農業が盛んになったのはこの水路のおかげでした。
玉川上水は多摩地区の人々にとっては命をつなぐ唯一の水路でした。江戸が百万都市に成長できたのも、玉川上水が江戸市中に水を送り続けたからです。
その大切な「御上水」(江戸時代の古文書に記載)に身を投げるとは・・・、多摩地区ではけしからん男と伝わっています。とはいえ当時のお上水には毎年、数十人の身投げがあったそうですので、太宰はその代表にされたのかもしれません。
この週末は桜桃忌を偲び、三鷹から国分寺まで、新緑の玉川上水を散策するのもいいかもしれませんね。(水田享介)