生物多様性が今どきのトレンドですが、中学入試問題にそれらしい設問を見かけたので、筆者もチャレンジしてみました。
※画像はNHK NEWSWEBを参考に作成
結果は、ふたつが正解のところが、ひとつしか選ばずに不正解でした。
「ウ、大陸から離れて孤立した島で固有種が生まれる」、はイリオモテヤマネコなどがあります。
「オ、移動する能力が低い生物」、は考えが及びませんでした。確かに飛び回る鳥類よりは、カエルや昆虫などに固有種が多いですね。
解答「ウ」にあてはまる孤立した島国の日本は、いま固有種、新種の発見が相次いでいるそうです。
特に多いのが、サンショウウオ。
昔は、オオサンショウウオと小さいサンショウウオくらいしか知られていませんでした。サンショウウオは2種類と思ってはいませんか。
じつは、サンショウウオの種類は、現在「48種」を確認しています。
新種続々! サンショウウオ
サンショウウオは...、主に中国や日本、朝鮮半島など東アジアに生息し、96種が確認されています。(2022年12月時点・サンショウウオ科)
...日本では沖縄・奄美諸島などを除く広い地域に生息し、その数、なんと48種類!世界の半分の種が見られる「サンショウウオの宝庫」なんです。
(NHK NEWSWEB 2023年1月26日)
新種発見の決め手は「遺伝子の解析」だったそうです。古くからある見た目での区分ではなく、現在ではDNAレベルでの違いを新種と特定する方法になったのです。
義務教育、高校教育を昭和時代に受けた筆者の頭は、古い知識がたっぷり詰まっています。
聖徳太子は実在が疑われ、いいくにつくる(1192年)と覚えた鎌倉幕府の成立年は間違いで、源頼朝の肖像画は別人でした。
もし、この知識で筆者が大学受験を受けたら、どこにも合格はしないでしょう。
源頼朝の肖像画 : 「教科書で見た頼朝像は別人」説を追った
およそ40歳代以上の日本人が「源頼朝」と聞いて思い浮かべる肖像画が、「実は、頼朝ではない」として、書籍や雑誌が掲載を見送るようになっている。
(nippon.com 小林 明 2022年2月27日)
筆者の頭の古さを痛感したのは、「紀元前3世紀、日本の稲作は弥生時代から始まった」という日本史教育です。
これは登呂遺跡の田んぼ跡の発見を根拠に、揺るぎない学説として定着していました。筆者も小学生の頃、そう習ったため固く信じていました。しかし、これは田んぼに水をはった水耕稲作しか見えていなかった学説の誤りだったようです。
一面に稲穂が波打つ黄金の田んぼ風景は、江戸時代半ば以降のものと言われています。それまでは焼き畑農法のため、休耕田と耕地が入り交じったまだら風景が一般的でした。
いまや日本の稲作の始まりは、3500年前までさかのぼると言われています。水の田んぼにこだわらずに、古代の日本人は自由な発想で、陸稲(おかぼ)やあわ、ひえなど多種多彩な食料を栽培していたそうです。
縄文時代から日本人は畑などの農地を耕していた遺跡もあり、稲作のスタートは3500年よりもさらに前の石器時代ではないかとの説もあります。
稲作から見た日本の成り立ち
稲作が始まった「石器時代」から、農具や水路が発達して広範囲で田んぼが作られるようになった「古墳時代」まで、稲作の歴史とともに日本の成り立ちをたどります。
(株式会社クボタ)
日本の石器時代と言えば、筆者の住む東京都小平市の鈴木遺跡がその筆頭にあげられます。3万5000年前から1万5000年前まで約2万年の間、同じ場所に住み続けた原始日本人の痕跡が、数メートルの地層に積み重なっています。
その重要性から、2022年に国史跡に指定されました。
日本列島の旧石器時代遺跡 鈴木遺跡 Suzuki site
武蔵野台地のほぼ中央、東京都小平市の東部、石神井川源流谷頭部を馬蹄形に囲んで形成された後期旧石器時代の遺跡。
(日本旧石器学会)
この石器時代からどのようにして縄文時代につながったのか、またつながらなかったのか。
古い知識を捨てて、新しい知見を得て頭をめぐらせるのも、また一興ですね。(水田享介)