入社試験に始まり、契約獲得のプレゼン、昇進試験や接待など、ビジネスマンには避けては通れない大きな節目があります。
採用されるのか、契約を取れるのか、昇進はどうなるのか。しかし、結果ばかり気にしていては、判断を誤ったり、凡ミスを犯して信頼を失ったり・・・。大事な局面になればなるほど、人はなぜか失敗をやらかしてしまうもの。
歴史をひもとくと、そんなやらかし人物があちこちに隠れています。
そんな事例をご紹介する「やらかし人物列伝」。
第一回は、「開戦日を間違えた陸軍少佐」
太平洋戦争開戦も目前に迫った1941年某日、ひとりの軍人がタイ南部のシンゴラ(現ソンクラー)の日本領事館に着任しました。大日本帝国陸軍所属、O少佐です。
O少佐はある重要な使命を帯びていました。日本軍が南方へ進攻する際、タイから上陸して陸路マレー半島に入るルートが策定されていました。その上陸地点にあるのがシンゴラでした。
当時イギリス領のマレーはすでに日本との臨戦態勢にあり、日本軍は中立国のタイ領海岸を上陸地点に選んでいたのです。
上陸後のマレー南下作戦に使う移動用車両や偽装用のタイ軍軍服を用意するのがO少佐の役目でした。
12月4日、海南島(現中国領)を出航したマレー上陸部隊は4日をかけてインドシナ半島沖を南下、8日午前4時にシンゴラに上陸。O少佐と落ち合い、タイ軍人に偽装を済ませ自動車にてさっそうと南下を始めるはずが・・・。
待てど暮らせど、O少佐、現れず。擬装用軍服どころか自動車も現れず、部隊は待ちぼうけ。
後でわかったのですが、O少佐は開戦日を翌日の12月9日だと勘違いしていたのでした。
1941年12月8日の日本軍の行動
(Map of the Japanese Invasion of Thailand on December 8, 1941)
当時のニュース映像などを見ると大船団を繰り出す一大作戦。その日を間違えるなんてあるはずが・・・、でも、現実にあったんです。
開戦、その時何が起こっていたのか
3 マレー半島奇襲上陸
即ち12月8日、夜が明けきらぬ泰国シンゴラの沖合に南海を圧して我が大輸送船団、突如勇姿を現す。舳艫(じくろ)相銜(あいふく)んでマレー攻略の雄図も堅く、波を蹴り豪壮果敢なる敵前上陸は開始されたのであります。
(NHKアーカイブス 「日本ニュース 第83号/シンゴラ敵前上陸<馬来進撃>」1942年(昭和17年)1月6日公開)
O少佐の勘違いだけが原因ではなかったのですが、結局タイ軍に進路を阻まれた日本軍は、かれらとしばし交戦することになりました。
戦争の口火を切る大役を担ったはずのO少佐、開戦日の12月8日午後にはあっさりとその任を解かれました。
大事な開戦日でしたが、カレンダーに開戦と書き込むわけにはいかなかったのでしょうか。今日から戦争です、と教えてくれる人はいなかったのでしょうか。いないでしょうね。
大事な極秘情報は、自分だけに知らされていると思うと、なんだか地に足がつかないものです。
筆者はどんなトップシークレットでも、カレンダーに丸をつけて覚えておくしかなさそうです。
みなさんなら、どうしますか。(水田享介)
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■参考資料
([マレー進攻作戦-最新研究が明かす日本版「電撃戦」の実相-]
文・長南政義/『歴史群像 2021/12』)
「日本軍のタイ進駐」
(ウィキペディア)