「上海バンスキング」といえば、女優・吉田日出子さん主演、1930年代の上海・租界地に生きるジャズマン達を描いたオンシアター自由劇場の代表作です。
プロのバンドマンは体ひとつでいくらでも稼げる職業、海外に出てもバンス(アドバンス≡前借り)で生きられるさ。「上海バンスキング」では、軍事色強まる昭和10年代、演奏家としての矜恃を守るために、自由な演奏活動を上海に求めた彼らが生き生きと描かれていました。
息苦しくなる日本を飛び出したものの、その日暮らしが板に付いたミュージシャンのこと、給料の前借りで食いつなぐ彼らを称して、かっこよくバンスキング、「前借り王」と呼んだのです。ところが実際には、しだいに借金漬けとなり、首が回らなくなりました。
「バンスキング」とは、自由の代償に決して安泰ではない生活を自虐的に表現した言葉でもありました。
1983年、六本木の自由劇場で観劇した筆者の感想は、華やかでおしゃれでちょっともの悲しい‐‐そんな風に心にしみる舞台でした。
ところで、いまや一般のアルバイト職でもこうした給料の前払いが広まっているそうです。
どのような仕組みなのでしょうか。
"スマホ使って給料前払い"広がる アルバイト確保に効果
スマートフォンを活用して給料を前払いで受け取れるサービスが広がっています。アルバイトを集めやすくなることが背景ですが、従業員に手数料がかかる場合があるため、金融庁は利用のしかたには注意も必要だとしています。
IT企業の「ペイミー」は、スマホのアプリで申請すると働いた分の給料の一部を前払いで受け取れるサービスを提供していて、およそ250社が利用しています。
このうち、都内の飲食店はアルバイトの確保が課題になっていましたが、サービスを導入したところ、求人の際、応募者が増えたということです。
(NHK NEWS WEB 2019年6月17日掲出)
手数料といっていますが、おそらく先払いしてから実際の給料が支払われるまでの期間の利息なのでしょう。ひとつの金融サービスのようです。
一見便利ではありますが、注意点も多そうです。
まず、先払いをうけてもその後、アルバイトが予定していた期限まできちんと務められるかという問題があります。お金はすでに受け取っているが、それに相当する給料分を働くかどうかは未知数です。
もし働けなくなった場合、先払いを受けたお金は給与の前払いではなく、すべて借金に早変わりしてしまいます。そのときの利息や違約金などの取り決めはどうなっているのでしょうか。
つぎにひとたびこの前払い制度を使い始めると、やめられなくなります。給料日に前払い分を差し引いた額になるとはいえ、前払いが多いと一円も受け取れないこともありえます。そうすると前払い分で次の給料日まで、一ヶ月を過ごさねばなりません。必然的に翌月の給料に手をつける、つまり再度前借りをすることになります。これを毎月続けると、数年間では結構な手数料を支払う羽目になります。
もし手数料が従業員持ちの場合は、本来負担しなくてもいいはずの手数料の分が固定費のように重くのしかかることは目に見えています。
仕事を辞めた後はさらに深刻です。通常なら仕事を辞めた翌月に給料が入るので、次の仕事を探すときに余裕が生まれますが、前払いを受けているとその分だけ減額されますから、後になって金銭的に苦しくなります。
次の仕事が見つかっても、月給制であれば給与を受け取るのは一ヶ月先になります。蓄えがないと転職も難しいのが現実なのです。
そうなると再び前払いを受けたくなるのが人情でしょう。こうして立派な「バンスキング」の誕生です。
結局、一時のお助け的な存在と言うより、ひとたび前借りするとなかなか抜け出せない泥沼のような状態に陥ってしまいます。
便利そうで、従業員にやさしそうな制度のようですが、その内実をよく調べないと、再び悲しいバンスキングが生まれてきそうでなりません。(水田享介)