[531]IBM Watsonの元となったワトソンとその息子の自伝『IBMの息子』
IBM Watson(ワトソン)といえば、IBM社が開発したAI(人工知能)システムです。(IBM社はワトソンのことをAIと言わず、「自然言語を理解・学習し人間の意思決定を支援する『コグニティブ・コンピューティング・システム(Cognitive Computing System)』と定義」(Wikipedia)しているようです。)
この「ワトソンくん」、クイズ番組にチャレンジしたり、料理の新しいレシピを考案したりと多彩な活躍で一躍有名になりました。
最近では日本語にも対応。2016年には長年の病気に苦しんでいた患者に正しい病名と治療法をアドバイスしたことで、その実力が本物であることを証明しました。
この出来事は当コラムでもご紹介しています。
[311]これは事件だよ、ワトソンくん (「できる!」ビジネスマンの雑学 2016年10月31日) http://www.asuka-g.co.jp/column/1610/008184.html
それだけにとどまらず、いまや「ワトソンくん」は、IBMの重要な稼ぎ頭にまで成長しているのです。
[384]IBMの「ワトソン」くん、一兆円を稼ぎだす (「できる!」ビジネスマンの雑学 2017年04月24日) http://www.asuka-g.co.jp/column/1704/008476.html
こんな「ワトソンくん」ですが、ではワトソン命名の由来はご存じでしょうか。
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ワトソンとは、IBMの事実上の創業者、「トーマス・J・ワトソン」にちなんだ名前です。
「トーマス・J・ワトソン」は、1874年米国生まれ。1915年にIBMの前身であるCTR社の社長となると、1924年には社名をIBMと改称しました。1956年に82歳で亡くなる直前まで、41年間にわたり最高経営者としてIBMに君臨しました。
筆者はそのワトソンの長男に当たる「トーマス・J・ワトソン・ジュニア」の自伝、『IBMの息子―トーマス・J.ワトソン・ジュニア自伝』(訳:高見 浩/新潮社・上下巻)を読みました。
「トーマス・J・ワトソン・ジュニア」は父からIBMを引き継ぎ、IBMの二代目社長となっています。
この本の中身は幼い頃より、父よりIBMのトップたるべく帝王学を学び、時には悩み、時には挫折や反発を繰り返し、ようやくIBMの後継者となるまでの長い苦難の歩みが記されています。
偉大な父を持った子の悩みは、他人にはうかがい知れないもののようです。富豪の息子、若くしてなんでも手にいれた男・・・。周囲からは羨望と妬みをもたれることも多かったと回想しています。
ところが当のワトソン・ジュニア、何もかも手に入れてはいなかったようです。
まず、勉強が大嫌い。しょっちゅうイタズラばかり。小学生のときはスカンクの臭腺液を校舎の暖房設備に投げ込み、学校中をスカンクのにおいだらけにして休校にしています。しかも運の悪いことに、PTA会長だった父はその日、小学校を訪問することになっていました。
また、高校では免許もないのに、ワトソン父に内緒でスポーツカーを手に入れて、女の子のナンパを試みています。
こんな学校生活ですから、どの大学にも入れるような成績ではありませんでした。高校卒業もせまったある日、ワトソン父は米大陸を楽に横断できそうな大型車で帰宅しました。
いぶかるワトソン・ジュニアにワトソン父はこう言います。
「お前と二人、このクルマでアメリカ中を走り回って、お前が入れそうな大学を探すのさ」
こうしてようやく大学に進学することができました。
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ワトソン・ジュニアは大学を卒業すると、いったんはIBMに入社しますが、やはり父の会社は息苦しい。第二次大戦の勃発を機に、パイロットとして軍隊に入ります。
戦争が終結すると、そのまま軍にとどまるか、民間エアラインのパイロットという道もありました。 しかし、息子の戻りを待ちかねる父の気持ちを推し量り、再びIBMに戻ることに。
そこから始まったのは、父からの厳しい試練の数々・・・。
父と子は一営業所の些細な事案からIBM全体の経営まで、ことごとく言い争いながらも、どこかで一本の糸でつながっていると信じ合っていました。
しかし、その糸は時代の要請により、あっさりと断ち切られます。
というのも、創業者の「トーマス・J・ワトソン」が経営したIBMは、計量器、タイムカード、パンチカード機器などの事務用品会社、いわば事務機メーカーでした。
1940年代後半、唯一の超大国となった米国は空前の好景気を迎えます。顧客の増大、消費の拡大により、パンチカードはかさばりデータ読み取りも遅く、どの企業もコンピューターへの切り替えを求めていました。 ところが、当のIBMにはそれに答えるだけのコンピュータ技術は持ち合わせていませんでした。
そのころのコンピュータは、数学者の理論をもとにして大学の研究室で誕生したばかり。ノーベル賞級の頭脳が集まって、ようやく稼働し始めたところでした。
最新のコンピュータ技術を知り尽くした競合企業は、大学出の若手経営者が手腕を発揮し、早々とコンピュータを発売します。IBMのパンチカード機を一気に石器時代の遺物にしてしまったのです。
ところが、ワトソン父は新しい技術には目もくれず、パンチカード機の改良にあけくれるばかり。
無理もありません。馬車にミシンを乗せて、全米を売り歩くことで立身出世した「トーマス・J・ワトソン」は、セールスの神様ではありましたが、大学の研究室からはもっとも遠い存在でした。
旧来のビジネスを手放そうとしないワトソン父がいる限り、イエスマンだらけの役員がいる限り、IBMが巨額の資金を要するコンピューター開発を進めるのは不可能に思えたのでした。
このままでは早晩、IBMの倒産は免れないことは誰の目にも明らかでした。
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現在のIBMが、私たちが知るコンピューターメーカーのIBMであるのは、その父に引導を渡した二代目のワトソン・ジュニアの決断があったからでした。
結局、創業者と戦いながら企業を再生させることは、その息子にしかなしえなかったのです。
会社を存続させること。後継者を育成すること。その難しさと喜びがないまぜになった『IBMの息子』は、発刊から30年近く経った今でも、読むに値する名著ではないでしょうか。
企業はもちろん、商店や家業を引き継がせることが困難な今だからこそ、現役経営者のみなさん、二代目、三代目のみなさんにぜひ読んでいただきたい本です。(水田享介)
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ ■関連リンク 開発不要、Watsonを手軽に体験、「IBM Watson」 https://www.ibm.com/watson/jp-ja/
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