「できる!」ビジネスマンの雑学
2016年08月24日
[282]鉄道が走る前に生まれていた?!日本語の「鉄道」

 「鉄道」とは、鉄のレールが敷かれた道であり、電車等の交通機関の意味。漢字の熟語がその本質を言い当てており、誰もが字面(じづら)だけで理解できる言葉です。元々は漢字を組み合わせた造語だったようですが、日本語として定着しています。

 では、鉄道という言葉はいつ生まれたのでしょうか。

 日本で初めて新橋‐横浜間に鉄道が敷かれた明治5年(1872)でしょうか。いえいえこれまではそれより古い、幕末の慶応2年(1866)、福沢諭吉が「西洋事情」の中で、交通機関の意味として「鉄道」の名称を紹介したことが知られていました。

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「横浜海岸鉄道蒸気車図(1872)・歌川広重」

 ところが最近の資料研究により、さらに12年前の1854年、ペリー提督が2度目に日本へやってきた際に、早くも鉄道という言葉が使われていた事実が判明したのです。
 ペリーは模型の蒸気機関車を将軍家への献上品として持ち込みました。その走る姿を見たひとりの武士が、イラストと共に「鉄道」の文字を手記に書き残していたのです。

日本初の「鉄道」発見?
 「鉄道」という文字が幕末の嘉永7(1854)年に蒸気機関車の模型を見学した福山藩士、江木鰐水の手記に記され、確認されている資料では最古の記述例であることが、県立歴史博物館の調査で分かった。模型見学から間を置かずに書かれたとみられ、国内に広く鉄道を紹介した福沢諭吉の「西洋事情」が出版された慶応2(1866)年より12年も早いことになる。(中略)
 同博物館で開催中の企画展「ひろしま鉄道ヒストリア」での展示にあたって、手記に鉄道という記述があることが判明。
産経WEST・ライフ 2016年8月17日掲出)

 ところで、日本人で最初に蒸気機関車に乗ったのは、おそらくジョン万次郎だと言われています。万次郎がアメリカ本土に渡ったのは1841年ですから、確かな乗車記録はありませんがこのころになるようです。

 また日本国内での蒸気機関車の初見は1853年、ロシア軍艦に招かれた幕府高官や佐賀藩士が模型を見学しています。蒸気機関の有用性に気が付いた佐賀藩は独自製造に着手。早くも数年後には蒸気機関車や蒸気船を完成させています。

 江戸時代の日本人のすばやさ、旺盛な好奇心には頭が下がります。文字だけではなく、江戸時代の蓄積を明治時代が引き継いだことがよくわかる好例ですね。(水)

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■関連リンク
ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)
「ひろしま鉄道ヒストリア -蒸気機関車から新幹線まで-」
会期 9月11日(日曜日)まで


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