屋台で酒を飲まずに帰る人たち
おでんが「酒の肴」から「おかず」に
昔から冬の屋台の定番と言えば「おでん」。大根、ちくわなどおでん種をつまみながら、日本酒が温まるのを待つ。そんな楽しみ方は昔の話になるかもしれない。
最近は、お酒を注文せず、おでんだけ食べて帰る人が目立つのだという。
(J-CASTニュース 2015年10月20日掲出)
おもしろい記事ですね。でも、いささか強引な「最近の若者論」になってはいませんか。
ここからは恐縮ですが、筆者の昔話になります。
深夜0時過ぎ。赤提灯を下げた軽トラックの屋台が、とある男子学生寮の前に静かに止まった。ボリュームを落とした拡声器で遠慮がちに「おで~ん」とひと声。すると条件反射のように、どてらを着た学生達が、小銭とアルミ鍋を持ってひとりふたりと現れる。鍋のない学生は両手にどんぶりを持って。
なぜか。この時間、トラック屋台のおでんはすべて半額になるのであった。夜食にありつきたい貧乏学生とおでん鍋をカラにしたい親父。そこには見事なウィンウィンの関係が築かれていた。
昭和の時代。売れ残ったおでんを、このように片付けて帰って行くトラック屋台があった。
赤提灯とおでんというと、筆者はこのことを思い出します。あの頃は、小さな幸せを手に入れるのはたやすいことでした。
苦手のちくわぶがサービスで入らなければ。
学生とおでんの関係でわかるように、学生の夜食にも子供のおやつにもなるのがおでんです。おでんは昔から「おやつ」や「おかず」や「夜食」であり、「酒の肴」でもあったのです。冒頭の記事のようにおでんには酒がつきものとは限らないでしょう。
また、おつまみに力を入れている老舗や評判の呑み屋では、客に長居などさせてくれません。2~3杯しか飲ませてくれない店、つまみの注文が途絶えた客がまさに「つまみ」出される店、客が「できあがる」前に追い出しにかかる店など、筆者はたくさん知っています。
酒で儲けたいというのが飲食店の本音なら、酒はいくらでも飲ませるはずですが、意外にそうとは限らない。また、そういう呑み屋のほうが程よい緊張感のおかげか、客筋が保たれるのか、末永く続いたりします。
おでん談義はともかく、最近の若者は変わった、扱いにくくなった、社会に適合していないという辛口の若者論が横行しています。
一部の若者がそうであったとしても、それは若者の責任ではありません。教育した親や社会が先に変わったのであって、私たちはその結果を若者を通して見せられているだけなのです。
若者の見苦しい姿を批判する前に、そのような教育をする程度にまで、おとなたち自身が見苦しく変わってしまったことを自覚するべきでしょう。
とは言え、バブル崩壊、リーマンショックを経験して、日本人は少し変わったかもしれない、というのなら、筆者も幾分かは賛成です。
筆者は専門学校等で教鞭を執っていましたが、ここ10年から15年の間に、学生たちに微妙な変化が起きたと感じています。
筆者が教えはじめた頃、学生たちは自分が遊んだゲームを超えるゲームを作ってやる、という気概にあふれていました。当然のように実力が伴わず、すぐに挫折します。学生たちは挫折して、ようやくまじめに講義を受けるようになります。
ところが、数年後の学生たちから、アプリですぐに使えるワザやゲームプレイのようなウラ技をほしがる傾向が現れてきました。基本操作や基礎知識を飛び越して、実用的なテクニックを身につけたいということです。そんな彼らは壮大な夢は語らず、挫折もせずに卒業していきます。
操作手順を教えるだけなら、講師は楽です。しかし、何のためにその操作をするのかを理解しないまま、手先の操作だけを覚えた学生は、就職してもその先の成長が危ぶまれます。挫折は将来に持ち越しというわけです。
生徒たちは、自分は損をしていないか、自分の価値はいかほどかと心配する強迫観念にとらわれているようです。
しいて言えば、今の若者はなるべく損をさせたくないと思う親心に育てられ、リスクマネジメントに長けた若者になってしまったのかもしれません。
おとなたちや一般社会が理解しがたい若者の言動の中に、そのときどきの国の実力や実情が表われていると言えるでしょう。(水)