いま一番の話題と言えば、9月1日に決まった東京オリンピックのエンブレム撤回でしょう。
地上波も衛星も受信機を持たない筆者は、TVニュースや映像垂れ流しのワイドショーとは無縁のため、この件をどのようにおもしろおかしく報道していたかは知りません。
ネットニュースで見る限り、TV番組では模倣かオリジナルかをいちいち検証してくれていたようです。
筆者はコピーライター、クリエイティブディレクターとして、国内の主要広告代理店と20年以上仕事をしてきました。
そのためデザイナーやAD(アートディレクター)が代理店の中でなにをしているかも熟知しています。
少し気の利いたデザイナーなら、海外の広告年鑑を揃えておくのは常識です。また、過去には洋書専門店が翻訳まで付けて、デザイナーの間を行商に回っていました。その結果、日本のAD年鑑と海外のそれとを並べて見比べてみると、イメージ等の奇妙な一致を目にすることはしばしばです。
このあたりの事情は、コピーライター時代の思い出を綴った『新人だった!』(著:原田宗典 角川書店)をご一読いただければ、腑に落ちるでしょう。そこには、制作の現場で海外の年鑑がどのように使われていたのか、具体的な記述があります。
その延長で仕事をされていた方が、受賞されたのでしょう。
この五輪エンブレム問題は、模倣問題とは別に、日本社会の大きな節目を感じさせる出来事でした。
その節目を演出するに事欠かないお膳立てが、見事に揃っていました。
まず、選考委員が内輪で固められていたこと。しかも特定の広告代理店の人間関係が色濃く出ており、オープンな選考とは言えない状態で審査されていたようです。
つぎに応募資格には条件が付けられ、指定した賞の受賞歴が2つ以上あることとなっていました。桜を散らしたすてきな招致ロゴを作ったのは美大生でした。こういう未知の若者から、思いがけない力作が飛び出すこともあり、危険と思われたのでしょう。事前に若い才能は切り捨てられました。
様々な媒体展開があり経験の浅いデザイナーには無理だから、が表向きの理由。しかし、筆者の記憶では、デザインの媒体展開こそ経験を積ませたい若手アシスタントに振られることが多かったはず。
最後に受賞作品に原案と修正案があり、どちらも模倣の域をでない作品だったこと。100点を超す応募作がありながら、選考委員が修正を加えてまでこの受賞作に執着したことが、不透明さをさらに際立たせました。
結局、密室状態で選考を行い、決まるべき人が決まる出来レースだったようです。昔なら出来レースでも、こんな受賞歴のある有名デザイナーが作りましたで、国民を納得させてきました。
ところが、ネットが普及した今、その出来レースの裏側はマスメディアを通さずに、数多くのサイトでこと細かに暴かれました。
当初は出来レースも模倣も打ち消していたマスメディアでしたが、積み重ねられる模倣の前に論調も弱まり、最後にはネットに追随したようです(テレビを見ないので過去の記事から判断)。
筆者にはコピーライターの師匠がふたりいますが、お二人とも「コピー十日会」のメンバーでした。その昔、筆者の修業時代に聞かされた話に過ぎませんが、かつてデザイナーは図案屋と呼ばれ、軽薄な職業とみなされていたそうです。広告業界はデザイナー地位向上のため、団体や賞を設立し、賞歴を揃えてきた歴史があります。
体裁も整えたし、この社会的権威をもって決めてしまえば、今回も国民を納得させられると選考委員会は思っていたのでしょう。
そもそも、スポーツ競技のオリンピックに権威は不要なはず。常人を超えた運動能力と努力の限界が織りなす祭典に、権威主義を持ち込んだことのおかしさに、選考委員会はもっと早く気がつくべきでした。
国民が参加する一大イベントに、旧態依然の権威主義、受賞歴差別、密室での決定プロセスとお膳立てが揃ったことで、ネット社会の反発がより強まったのではないかと筆者は思います。
いま必要なことは、いつまでも模倣の度合いを論じることではないでしょう。この失敗の本質は、新国立競技場のつまずきの理由とさほど変わらないと思います。有識者や選考委員の本質にある差別主義、権威主義という誤りをたださない限り、同じような間違いがまだまだ続くことは、誰の目にも明らかです。(水)
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タイトルの「失敗の本質」は、
『「失敗の本質」- 日本軍の組織論的研究』 (中公文庫 戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎 共著)
からお借りしています。