うすうすとは気付いていたけれど、やっぱりそうかな、いや違うかも。というお話。
犬と人間、見つめ合いで親密に 麻布大など研究
【マイアミAFP=時事】犬との愛の秘密は、瞳の中に──。犬と人間が互いの目を見つめ合うことで、双方に「愛情ホルモン」であるオキシトシンの分泌が促進されるとの研究論文を16日、麻布大学動物応用科学科の菊水健史氏率いるチームが米科学誌「サイエンス」に発表した。
【翻訳編集AFPBBNews】〔AFP=時事〕(引用:時事ドットコム 2015年4月17日)
(犬の視線の先は・・・やっぱり食べ物)
子供の頃飼っていた犬は、ごはんの時間が近づくと、真剣なまなざしになるのが常でした。単にごはんが待ち遠しいのだろう、あぁ何と食い意地の張った犬だろう、と子供ながらその駄犬ぶりに嘆いていました。本当は大いなる空腹に少しだけ愛情が入り交じった視線だったのではないでしょうか。
親が犬を飼う許可を出すとき、飼い主はお前だからね、などと必ず言いますね。あれがイヤでした。兄弟の中でなぜ自分だけが飼い主になるの。猫を飼うとき飼い主なんか決めなかったくせに・・・。みんなで飼うんだからみんなが飼い主でいいじゃない。そう思っていました。
なぜなら子供を飼い主にしたところで、犬はそう見てはいません。誰がその家の実権を握っているのか、犬だってお見通しですから、子供の命令など本気で聞いてはくれませんでした。犬になめられながら飼い主を続ける自分が悲しくもありましたが、いま振り返ると忍耐力はついた気がします。とはいえ犬から愛情を送られていたという感じはありませんでした。
(ベトナム・フエの犬)
小学生の頃飼っていた犬は、給食のコッペパンの残りを楽しみにしていて、一日四食は食べていました。
その次の犬は、筆者も中学生になり部活で忙しく、お昼をあげる人もいないので、なんとなく一日二食が定着しました。散歩もさせて少しはかわいがったつもりでしたが、散歩付きの一日二食はありがた迷惑だったかもしれません。
もし、先代の犬と引き継ぎ会議があったら、相当なクレームが巻き起こったでしょう。
猫に「ねこかわいがり」はありますが、「犬かわいがり」という言葉がないのは、一日二食が原因かもしれませんね。
(水)