ニトリ社長の青春が無鉄砲きわまりない。
日本経済新聞の文化欄に「私の履歴書」という長寿コーナーがあります。2015年4月14日現在、連載しているのはニトリ創業者である似鳥社長。10回ほどかけてご自身の生い立ちからニトリ創業までを語ったところですが、予想外のできごとだらけで、目が離せません。
まず、いきなりのハードパンチ。小学生の頃、自分の苗字の「似鳥」を漢字で書けなかった。まさかと思うが当時の恩師もそう証言しているので、ウソではなさそう。ご本人はそんなこともあったな程度に軽く語っていますが、大丈夫なのかこの人は。
つぎはつらい家業手伝い(建設業とヤミ米屋)といじめ。
父からも月に一回ぐらい、気絶するまでなぐられた。熱があっても手伝いは休めない。逆に「気が抜けている」とひどく怒られる。だから頭はいつもコブだらけだった。
(引用:日経電子版 2015年4月3日 連載第三回)
家では殴られながらこき使われ、学校でも悲惨な目に遭っていた。小学生時代はまさにいじめられっ子。ヤミ米屋だったものだから、「ヤミ屋、ヤミ屋」としょっちゅうののしられた...。
(引用:日経電子版 2015年4月4日 連載第四回)
配達中にヤミ米を落としても、必ず拾ってくるよういいつけられ、しばらくは砂混じりご飯を食べていた。同級生に自転車ごと川に落とされ死にかけた。通知表は1か2しかなかったが、一番成績がいいのは1だよと言って、息子は優等生だと母を信じ込ませていた。
勉強はできないといいながら、大人顔負けの策略家だったようです。
その才能は早くも高校入試で花開きます。入試に失敗するとすかさず校長宅にヤミ米一俵を持ち込み、入学を勝ち取っています。大学では単位をくれない教授に、逢い引きのアリバイ作りを買って出て、無事に卒業にこぎつけました。
大学時代のアルバイトは、バーのツケを払わない客をおどして回収する回収屋、家出少女への仕事のあっせん、賭けビリヤードのハスラーなど、まるで小説か漫画の主人公そのもの。
仕事に厳しいご両親だったようですが、格言も残しています。父親は勉強に悩む息子に「勉強はできなくていい。大学を出た優秀なやつを雇って使えばいいんだ。」
ニトリを創業して人手不足になると母親は「人が足りないなら結婚しなさい。でも美人はダメ、客がねたむから。少々不細工でも丈夫な娘さんにしときな」
勉強が苦手というコンプレックスをバネに、すぐれた人間観察力で苦境を乗り切ってきた方のようです。世の中の流れや流行のにおいを嗅ぎ取る嗅覚が似鳥社長にあったから、今日のニトリがあるのかもしれません。
今週からいよいよニトリの大躍進が始まるようです。どんな規格外のストーリーが展開するのか、いまから楽しみな毎日です。
(水)
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