「できる!」ビジネスマンの雑学
2015年04月03日
[026]つけ麺の父、逝く。大勝軒創業者、山岸一雄さん

つけ麺元祖「大勝軒」追悼の長い列 店頭に記帳台も
 東京・東池袋のラーメン店「大勝軒」の創業者山岸一雄(やまぎし・かずお)さん(享年80)の訃報から一夜明けた2日、同店には山岸さんが考案したつけ麺の愛好者らが長い列をつくった。正午すぎには、通常のランチ時より多い30人近くが並び、大半が「特製もりそば」を注文。店員6人で切り盛りし、山岸さんから受け継いだ味を提供した。
(引用元:スポニチアネックス 2015年4月3日)

 大勝軒の創業者、山岸一雄さん(80)が4月1日亡くなった。

 ラーメンにつけ麺方式を導入したいわばつけ麺の元祖、つけ麺界の大王とも言える人物だった。頭に鉢巻きならぬ白いタオルを巻いた独特の風貌は、目にした方も多いことだろう。

 大勝軒のある東池袋はサンシャイン60がそびえ立つ地でもあり、おつきあいのあった広告代理店がそこに入っていたため、大勝軒のそばをよく通っていた。いつも人が並んでるなぁと気付いてはいたが、あるとき「あそこはつけ麺で、ものすごいボリュームだよ」のひと言で列に加わることになった。日本そばのまねでもあるまいし、ラーメンでつけ麺とは。興味もあったが色物ラーメンかと少し軽く見ていた。

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 「特製もりそば」を初めて食べた。うまかった。麺がおいしかった。つけだれは濃くて麺とよく合った。噂通りに麺だけで腹いっぱいになった。タオル鉢巻きが白く輝くおやじさんの姿は店のくたびれ感との落差を感じたが、トレードマークらしく妥協のない純白の白さだった。

 それからはサンシャインビルにのぼる度に何となく大勝軒を探すアホな自分がいた。

 大勝軒はまだ東池袋にしかなく2、3度並んだだけだった。その後支店が続々と誕生して、袋麺やカップ麺でもあのおやじさんの笑顔をみるとは思いもよらなかった。

 以前奥さんを亡くされたときだっただろうか、女房の部屋が片付けられなくてずっとそのままなんだよと語る記事を読んだ。豪快なイメージだったおやじさんが見せたナイーブな心に、少しホロリとさせられた。合掌。ごちそうさまでした。
(水)

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