iPhone水没事故に始まる再設定の最中、作業を興味津々に見守っていた息子もLINEを始めたいというので設定をしました。
私の携帯番号を使って承認をしたら、私の友人が息子のLINE画面に出ることに・・・。
そしてなんやかやと修正の作業をしていたら、友人全部が消滅するという事態に発展(IT音痴ということが発覚)。
たちまち感じの悪い人になりました。「石野さん退出しました(つまり絶縁しました)」と友人のLINEに出るわけですから。
まあ事故ではありますが、友人アイコンの消えたまっさらな画面を見て「半端ないぼっち感」と同時に、パーミッションな連絡から解放された、楽になる感覚とよく似た感じも自分にあるようでした。それは自由に飛び込んでくる連絡手段からの解放とでもいうのでしょうか。心配してくる友人は「どしたん?」メッセージをくれ、また「石野さんを招待しました」と元いた部屋への招待状も届いたりして、だんだんと元の状態に回復しつつあります。それはそれで嬉しく、ありがたくもありますね(^^)
ところでこのぼっち感は、SNS後遺症のようなものです。私はぼっち感が嫌いではないのですが、いまの若い人の中にはさみしさに耐えられない人も多いようですね。
自分が話の中心でいたい、自分ブランディング、発言しないと感じが悪い人と思われる、仲間感がほしい、不特定多数に自分を演出したいなど思いはさまざまでしょう。
つながっていたい < つながっていなければならない
実は、望まざるともしなければならない「つながり」になっているように思います。
SNS疲れからぼっちになれることがうらやましいと思っている人もいるのではないでしょうか。
『ぼっち感』は悪くつかわれることが多いですが、私はいいこともあると思います。
通信最大手に勤める知人はSNSを使った連絡の手段を使いません。連絡はメールのみ。それも最低限の使用にとどめているそうです。その理由としては、一度世に放たれた文章、情報は永久に消えることのない時代になったからだそうです。SNS上のTimeLineでは情報が流れていきますが、それは情報が消えたのではなく画面に見えなくなっているだけのこと。そういえばと思い出すのがオバマ大統領が名門ハイスクールを訪問した際の言葉です。
「若いうちは過ちを犯すものだ。そのひとつにITの使い方がある。将来、君たちは要職につくだろう。しかし、若いときに発言、発信した情報がブーメランのように戻ってきて君たちの足を引っ張るだろう。十分な注意と慎重な活用をするように!!」のように言いました。
企業の採用でもSNSは調べられる範囲で調べられているといいます。適度な『ぼっち感』のあるITライフのほうがいいとも言えますね(^_-)
若者よ、もっとぼっち感を楽しもうではないですか!!