10月10日(火)から11月10日(金)の期間で、
e-honさんで『「すぐやる人」と「やれない人」の習慣』をご購入された方のみ、
特典として、塚本亮先生が新たに書き下ろした3項目をダウンロードして、
入手することができます。
詳しくは、下記のアドレスからキャンペーンページにアクセスできますので、
ご参照くださいませ。
日本橋BOOKCONは、本の作り手と読み手をつなごう! というコンセプトのもと、丸善日本橋さんで開催される新しい書店イベントです。(今年がはじめての開催だとか!)18日から20日にちまで開催され、私たちは18日のみの出展です。
詳しくはこちらの公式サイトから...
https://honto.jp/cp/store/recent/nihombashi-bookcon.html
さて、その日本橋BOOKCONですが、明日香ブースでは『イムラン先生の新刊の販売会』を行います。
イムラン先生といえば、インターネットのバナーなどでお目にかかったことのある方もいるのでは?
先生は「コペル英会話教室」で英語を教えているだけでなく、YouTubeに英語動画をアップして、日本人の英語力向上のために活動なさっています。
わかりやすい解説と指導には定評があり、ご自身のYouTubeチャンネルでの動画再生回数は1000万回を超えるそうです!
今回は、そんなイムラン先生の新刊『CD BOOK 超英語思考リスニング』ほか2点をブースにて販売いたします。
ご購入くださった方には、写真にあるオリジナル小冊子と絆創膏をプレゼントします!
今回のイベントのためにイムラン先生と特別に作った冊子で、ここでしか手に入りません!
「英語の勉強は何からはじめればいいの?」「英文法って必要?」「先生オススメの勉強法は?」など、
5つの気になる質問に、イムラン先生が丁寧に答えてくださっています。
また、同日18:00から19:30には、イムラン先生が明日香ブースに登場!!
ブースにて書籍をご購入くださった方に、サインをしてくれるのです...!!!
イムラン先生ファンのみなさん、あこがれの先生と直接お話できるチャンスです!
お誘いあわせの上、ぜひ明日香ブースまでお越しください。
☆Information☆
日時:2017年10月18日(水)9:30~19:30
場所:丸善日本橋 3-4ブース(3階くだりエレベーター/WABP付近)
特別イベント:イムラン先生サイン会(同日18:00~19:30、明日香ブースにて)
詳細:http://www.asuka-g.co.jp/nihonbashi_book_con/
※明日香出版社HP内のイベント紹介ページに飛びます
栗原典裕先生が10/11(水)のヒルナンデス(日本テレビ)に出演しました。
約15分、上手なコミュニケーションの取り方を面白く、丁寧に解説。
新刊も発売されたのでぜひお読みください。
「国」と「心」の中の「英語帝国主義」を打破せよ!
「それなり」に「自己流」でOK!
最終回に、日本の英語教育の問題点をおさらいしておきましょう。
それは、英語が好きで受験英語が得意だった人でも、その英語が使えないという大問題、そして英語に乗り遅れた苦手だった人々の問題の二点に尽きます。大学の現場でいつも思うのですが、理系の人々は、あまり問題では無いのです。何故なら彼らは最悪、英語が苦手でも何とかなるからです。まずもって彼らには手に技術があります。そして彼らはポテンシャル的には、必要と感じれば、「英語などという道具に過ぎない物」に取り組む意欲と能力を持っています。しかしより根源的には、理系の学問は、日本語から出発しないことです。
自然現象や生物というユニバーサルなものから出発する学問なので、つまり頭のなかに日本(語)という壁は存在しないのです。文系の学問こそ、政治学にしろ法律学にせよ、日本という壁に囲まれ、日本語という媒介語によって発想するのです。その壁を取り崩すのが昨今のグローバル化の大命題であって、そもそも壁がない人は、最初から問題ではないということです。誤解を恐れずに言うなら、理系の彼らは、カンボジアの子供たちのように、ゆくゆくは英語など使うようになる(なれる)のです。当然、帰国子女とか、特殊な環境にあった人たちも、今の日本のグローバル化の議論の対象にはなりえません。大半の日本人が、彼らのようになりたいと願っているのですから。彼らにとっての問題は、むしろ逆に、日本社会で、上手くやって行ける技能をどう身につけるかになってきます。
それでは何故、英語好きでも英語が使えない問題と英語嫌いの問題が発生してくるのでしょうか?それは究極的には、上で述べた英語学習の理想主義、完成形をあくまで目指すという完璧主義のもたらす弊害に他なりません。
それではその完璧主義はどうしてもたらされたのでしょうか。
このように考えてくると、大変大きな、そして恐ろしい現実に直面してしまうことになります。ちょっと目先を変えて、日本ではなく、世界の視点から考えてみましょう。「英語帝国主義」という言葉があります。英語が世界を牛耳っており、英語の非ネイティブの人々は、ネイティブに対して大きなハンディキャップを負っているとして、英語支配の構図を糾弾する立場の考え方です。でもこれは外交や国連とか、ビジネスとかの国際舞台での話だけでなく、同じ構造が国のレベルでもリンクしていて、各国の国内でも見られることです。例えばアフリカなどの開発途上国では、一握りのエリートが、早くから英語(仏語)教育に馴染み、高等教育などは旧宗主国などに留学し、堪能な英語(ないし仏語)で、国を指導する(牛耳っていく)立場になっていくという構図です。その構図が国内にビルトインされていて、エリート層が再生産されていくわけです。
日本はアフリカとはまったく状況が違うと多くの人が考えるでしょう。確かに表向きは違って見えます。日本では、ある種、国粋主義的に、教育を含め、すべてが日本語で行われ、公正な試験制度などによって進学や就職(特に公務員は)が決まるので、例えば英語で教育を受けた人が特権階級を構成するなど、有り得ないと反論があるでしょう。でも実態はどうでしょう。受験英語も抜群だったキャリア官僚になった人は、その後、国費で海外留学する機会に多く恵まれます。エリートと言えば、総合商社に入った人なども、人間力を含めた他の基礎能力に加えて、英語大得意な面々ばかりです。帰国子女や、在学中に交換留学など経験した人が多数、含まれます。総合商社でなくても、大卒で大企業に入る人は、大概、そうした人々でしょう。
筆者は今は千葉大学所属ですが、昨年まで岡山大学という、地方大ではあっても、旧制医科大に端を発する伝統ある国立上位大学で長らく教えていました(ちなみに千葉大も岡山大も、「旧六」(国立六大学)と略称される旧制官立医科大学のメンバーです)。岡山大学生くらいになると、交換留学を経験してTOEICが800点以上になって帰ってきた学生は、どんどんと大企業に就職していきました。簡単に言えば、留学経験のある岡山大生は、旧帝大や一橋、早慶レベルとほとんど遜色なくなるのです。それはほとんどマジックとでも言える留学効果だったような気がします。
正確を期すために申し添えておきますが、岡山大学は、それでも地方大であり、多くの例にもれず、地方公務員など地元志向の強い学生が多く、結果、英語力に限っては総じて低いです。全体のTOEIC平均点が500点行くか行かないかといったところ。もちろん平均なので、高い医学部から低い夜間学部まで、さまざまですが。それでも皆、センター試験目指して満遍なくコツコツ努力する真面目な学生が多く、そうした基礎学力を持った人が、留学により異文化対応能力と英語力さえ獲得するなら、鬼に金棒という状況になるということです。
さてそうした経験から何が言えるでしょうか。植民地だったアフリカの例ほどあからさまではないにしろ、日本も、英語が、いや正しくは英語もできる人がエリートとなり、社会を指導していく制度が実質的に備わっているということです。
それを陰から支えているのは、学校の英語教育の体制と、街中の無数の英会話学校の存在です。それらがエリートの英語能力向上に寄与しているというわけではありません。むしろ逆です。
中高での学校の英語教育は、完璧を目指す姿勢を崩さず、それがために多くの英語嫌いを生み出し、彼らの劣等感を助長します。街中の英会話学校も、ネイティブスピーカーが大手を振ってまかり通っていて、ネイティブのように話せることが理想のような考えを固定化させ、英語という存在をさらに重要で高位なものというイメージ作りに寄与しています。両者相まって、高いハードルをさらに高めることにより英語を遠ざけ、英語とそれにかかわる英語教師たちのブランド力を高め、それによって、仲間の皆が食っていけるようなシステムが全体として整っているのです。大卒のネイティブスピーカーであれば、誰でも英会話教師になれる日本のような国が世界でどのくらいあり、そのためにどれだけの人が先生として食っていける構造が出来上がっていることか。その全体システムの犠牲者は英語弱者に他なりません。英語が仕切る世界と理想の英語の姿を見せられ、高い金を支払わされた挙句、ものに出来ず、諦めてしまった弱者がどれほどいることか。むしろ英語強者はそのどちらにも関わりません。学校の授業の英語だけで十分などと誰も思わず、自分から進んで追加の勉強をするでしょうし、ただ理想や幻想を追って、英会話学校に行くこともないでしょう。
結局、日本では、英語教育の全体の枠組み、環境が、英語による人々の差別化を助長するよう構築され運用されているとしか考えられないのです。英語は支配するための道具であったし、支配されるための理由でもあったのです。
要するに一国の中での英語帝国主義です。
逆に言えば、国民の皆がカンボジアの少年のようなアプローチで英語を習得してゆくなら、全体が瓦解しかねない代物なのです。教科書を読むしか能がない学校の英語の先生たちの権威は消え失せ、白人ネイティブスピーカーの先生たちの姿も日本市場から消え失せるでしょう。
最後に再度、カンボジアの少年の話に戻りましょう。必要に応じ、一つずつ英語を覚えていくアプローチは、まさに英語ネイティブの子供たちの覚え方と一緒です。子供たちは、わかる範囲の英語の数を、必要な範囲で、毎日、増やしていくのです。大人たちが喋る普通の会話はまったくチンプンカンプンです。映画を見ても分かりません。考えてもみれば、日本人の私たちでさえ、完璧な日本語の知識があるでしょうか?そして日々、完璧を求めていますか?知らない単語、使わない用法、自分だけの言い回し、さらには間違った言い方等々、完璧には程遠いですね。テレビや新聞で言っていること、全部を理解していますか、理解出来ますか?日本人だって、非常に狭い範囲で日本語を繰り返し用い、日常生活を送っているのです。歌舞伎や日本映画を見ても、聞き取れないことなど多々あって普通のはずです。
日本語ですら完璧を求めないものが、英語になると、何故か完璧を求めるというのは、あまりに無謀ではないでしょうか?TOEIC900点越え、英検一級の人間だって、誰も英語をマスターしたなどと思ってないし、それ以上が本当の勝負だと覚悟し、日々鍛錬し苦悩もしているのです。英語の文法的な体系や語彙をいつの日にか完璧にマスターしようとするのでなく、日々、言いたいことを少しずつ英語に置き換えてみる練習はいかがでしょう。所詮、人間は、知っている言葉の範囲でしか、喋れないし使えないものです。誰も、新聞やテレビのような英語や日本語を喋って暮らしているわけではありません。
要するに本連載の結論は、「英語で不利な立場になるなんて、馬鹿らしいし、私は嫌だ。だったら壁をブチ破るためなら、たかが英語くらいやってやろうじゃないか!」ということなのです。
「ペラペラ」「マスターする」との考えが諸悪の根源!TOEIC900点からが勝負なのです
タイトル 『目から鱗! 気分を変えて英語に向き合う処方箋!』 ~ 理想や虚像に幻惑されないで、足元から着実に ~
千葉大学教授 小川秀樹 (国際社会論・グローバル人材論)
1956年生まれ。79年、早稲田大学政経学部卒業、ベルギー政府給費でルーヴァン大学留学。国連ESCAP(バンコク)、在イスラエル日本大使館勤務等を経て、横浜国大大学院博士課程修了。岡山大学教授等を経て、2016年より現職。
著書に『ベトナムのことが3時間でわかる本』(明日香出版社)、『あなたも国際貢献の主役になれる』(日経新聞社)、『ベルギーを知るための52章』(明石書店)、『学術研究者になるには 人文社会系』(ぺりかん社)、『国際学入門マテリアルズ』(岡山大出版会)等、多数。
自己紹介が出来れば万事OK?!
要するに話したいこと、話す中身があることが肝要
好きな洋画や洋楽で耳から英語の勉強をするという話をよく聞きます。好きなツールを使うのは、もちろん悪くは全然無いけど、日本人でも歌舞伎や映画や邦楽の日本語が分からないことがありますよね?ということは映画の英語や日本語が分かるというのは、かなりの高等レベルです。それより自分の言いたいこと、言うべきことが言えることが第一歩。言うべき内容があれば、自然と会話が成り立ちます。逆に、聞けても、話す内容が無ければ・・・(沈黙)。あなたが仮にアニメの雑学王なら、アニメ好きの外国人は、その会話が英語でも日本語でも、あなたの話すことに真剣に聞き入ってくれるでしょう!それが日本のゲームや武道、華道や茶だって然りです。
仮にあなたが日本の政治動向や自動車産業に詳しかったら、英字紙の日本政治や自動車メーカーに関する記事を、読ま(め)なくても、表題や写真だけで、その記事が何を言いたいか想像つきますね?英語の記事の間違いすら指摘することも可能かも知れません。そうなるとその記事の内容の話をするにも、より自信をもって話せますね。それを書いた記者よりも、あなたの方が事情に詳しく、何も臆する必要はないからです。例えば、外国人に日本語や日本の社会のことを教えることは、私たちが詳しい分野でのお話なので、より自信をもって外国人と接することができます。しかも「英語の問題ではなく、内容の問題だったのか!」と実感できて、「心の壁」を取り去るには有効です。
裁判や病原菌や宇宙や兵器の話など、普通の人には簡単には理解できない話題ですね。アメリカやイギリスの若者二人、老人二人がお互いぼそぼそと早口で話しているローカルな会話など、分らなくて(会話に入れなくて)当然。日本でも、町や家庭で耳に入るすべての日本語を全部ちゃんと聞いていますか?
新聞やニュースを全部、丁寧に読んでいますか?必要なことでも聞き逃したりしますよね。英語なら、テレビなどのあなたに関係の無いニュースやアナウンスは、分らなくて結構。あなたに必要な英語・話題を聞き取ろうと努力し、中学英語の文法、単語で、まずは口に出してみましょう。
その観点から言うと、英語であれ日本語であれ、日本人の喋りの最大の弱点は自己紹介に典型的に表れますね。自己紹介が数十秒で終わることが大問題なのです。学生たちに自己紹介を求めると、ほぼ例外なく、名前や学部、学年、出身地やサークルなどを小さな声で、しかも早口で喋り、それで終わりなのです。それが日本での自己紹介の定番パターンだし、日本は横並びの社会なのだからと言われれば、それまでなのですが・・・。
でもグローバルな視点から言うなら、それでは失格、駄目なのです。上でも述べたように、相手が自分の喋ることに関心を持ってくれていて、しかも喋る内容は自分自身のこととなれば、世界で一番詳しい問題について喋ることが出来る、これ以上ない格好の晴れ舞台ということになります。当然、自信たっぷりになって良いのです。それなのに、俯き加減でボソボソと喋ったり、数十秒でネタ切れを起こしたのでは、台無しですね。極論すれば、それが面接なら、それだけで人生が終わってしまいます。もちろん若い人々は、60年間生きてきた筆者のように、いろんな仕事を経験したことも、いろんな国に行ったことも多分無いでしょう。出会ってきた人間の数や、読んできた本の数、観てきた映画の数も、圧倒的に少ないでしょう。でも少なくとも年配の大人たちがまったく知らない新しい世界のことは知っていますね。昔は無かったものについても。若いからと言って、話すことが無い筈は絶対に無いのです。
例えば、自己紹介を膨らませるにはどうすればいいのでしょう。簡単な話です。喋ったことを、一々丁寧に、かつ面白おかしく、補足していけばいいのです。例えば初めに名前を名乗ったとします。筆者を例に取るなら、「私の名前は小川秀樹です」と言った後、その名前の背景について、何も知らない外国人に丁寧に説明してあげればいいのです。
例えば「私のファミリーネーム、苗字の「小川」というのは、小さい川と言う意味で、こう書きます(黒板に板書)。お分かりですか、単純に6本の線(stroke)だけですね。まさに流れる川をイメージできる漢字です。線だけですから、書くのも簡単です。でも逆に簡単過ぎてバランスを取るのが難しく、格好良く綺麗に書くのはとても難しい漢字です。書道(calligraphy)には向かない、いや、字が下手な私には向かない漢字です(笑)。ところで英語やドイツ語でも小川という名前はあると思います。私が知る限りでは、有名な音楽家のJ.S.バッハは、Bachと書いて、日本語式には小川さんという名前ですね。英語で言えばBeckです。
Jeff Beckなどというロックギターリストを若い人は知りませんか?(沈黙、笑)。中国語で言えばシャオ・チュアンです・・・。この名前は、当然ながら日本のどこにでもあり、ありふれた名前ですが、鈴木とか佐藤とかほど多くはありません。さて名前、ギブン(given)ネームの「秀樹」ですが、hidekiというスペル、読み難いですか?ハイデッカイでは無いですよ(笑)。ヒデキです。この名前は、かなり有名な名前ですね。例えば野球では、米大リーグNYヤンキースで長らく活躍した松井秀喜がhidekiですね。ヤンキースと言えば、伊良部という投手も名前はHidekiです。どちらも漢字は違いますけど。今、ゴルフで大活躍中の松山英樹もhidekiですね。こちらも漢字は私のとは違います。でもスポーツ選手だけに多い名前でも無いですよ(笑)。実際、私の名前は、日本人初のノーベル賞受賞者である、原子物理学者の湯川秀樹博士をまねて両親がつけたものらしいです。日本語では「名前負けする」と言う表現がありますが・・・(笑)。」というように。
カンボジアの経験をジャパンタイムズで話す筆者
名前からだけでも、少なくともこれだけ膨らませて、5分でも10分でも喋ることが可能だということがお分かりでしょう。皆さんも自分の名前をしっかりと詳しく説明する準備を、是非しておきましょう。
実際、外国人学生に自己紹介させると、堂々と何分にもわたり喋る人が多いです。それはその人たちの社交性や積極性、エンターテイナー性を示していますが、日本人もそうした人々のなかで英語を喋っていくのだということを銘記しておくべきでしょう。 (続く)
タイトル 『目から鱗! 気分を変えて英語に向き合う処方箋!』 ~ 理想や虚像に幻惑されないで、足元から着実に ~
千葉大学教授 小川秀樹 (国際社会論・グローバル人材論)
1956年生まれ。79年、早稲田大学政経学部卒業、ベルギー政府給費でルーヴァン大学留学。国連ESCAP(バンコク)、在イスラエル日本大使館勤務等を経て、横浜国大大学院博士課程修了。岡山大学教授等を経て、2016年より現職。
著書に『ベトナムのことが3時間でわかる本』(明日香出版社)、『あなたも国際貢献の主役になれる』(日経新聞社)、『ベルギーを知るための52章』(明石書店)、『学術研究者になるには 人文社会系』(ぺりかん社)、『国際学入門マテリアルズ』(岡山大出版会)等、多数。
頭から飲み込む読解メソッド実演! -「後ろから訳す」の愚
さてまた今回は具体的に英語に触れてみましょう。英文に立ち向かう基本姿勢を今回だけでしっかりと会得して頂ければと思います。
It would be difficult, if not impossible, to do something・・・という文章があったとします。挿入句は別とするなら、「何とかすることは、・・・・・、難しいだろう」ということですね。この文章を学生に訳させると、予想外に多くの人が頭を抱え込みます。「何とかすることは、不可能じゃないとしたら、難しいだろう・・・???あれ・・・?」というわけです。
この学生の悩み、頭の混乱は、英語に嫌悪感を抱かせることになるだろうと思われる、いくつかの重要なポイントを示しています。まずは学校で習ったであろう「後ろから訳す癖」が邪魔しています。そして挿入句などを非常に重視する癖もそうです。逆に言えば、その二つを止めてしまえばいいのです。頭からそのまま読んで素直に理解していけばいいのです。しかも取りあえず、面倒な挿入句や副詞・形容詞などは無視して。
つまり「困難だろう・・不可能じゃなくても・・・何とかすることは・・・」というように。意味はそれで明快で、これで頭の中での読解は完了なのです。それでは気持ちが悪い人のみ、その後で「何とすることは、不可能ではないにしろ、難しいだろう」と置き換えればいいのです。
この簡単な一文にどう対応するかが、英文読解のコツの全てを集約して示しています。ここで心に銘記しましょう。挿入句・挿入節は、初めは無視しましょう。頭が混乱する原因です。それらは文字通り、追加で挿入したものであり、つまり最悪、それは無くても大意に影響はないことになります。同様に、難しい副詞・形容詞も、知らない単語だったら当面、無視しましょう。大仰な副詞で気持ちが萎えないことの方が大事です。まずは大意を汲み取ることです。それが出来れば、副詞・形容詞も、大なのか小なのか、赤なのか白なのか、善なのか悪なのか、大体、想像できるようになります。
そして長い文章ならとりわけ、ゆめゆめ後ろから訳そうと思わず、頭からぶったぎって、そのまま読んでいきましょう。上から順番に単語を頭の中で理解して行けば良いのです。
難解な英文も背景さえ知れば、こんなに簡単!
ここで本連載の中では初めて、そしてたった一度、本格的な英語の勉強らしい勉強をしてみましょうか。これまで書いてきたメソッドを総動員して、下記の文章に挑戦してみましょう。脅すわけではないですが、この文章は、米国の国際法を学ぶ学生が読むテキストとして専門家が書いたもののごく一部です。
日本では国際系の大学院の入試にも出されています。つまり非常に上級者向けの英文論文です。ネイティブでも全員がきっちりと理解できる保証は無いレベルだと思います。
以前に、その文章が扱う話題に詳しければ、英語自体は問題無しと言いました。約束を守って、そのテーマについて解説しておきましょう。
時は1999年の世紀末で、この年は、ヨーロッパで春先に今から扱うコソボ紛争(戦争)が勃発、アジアでは夏から秋にかけては東ティモールで独立を巡る住民投票から大紛争が発生し、世界はこの二つの国際紛争に翻弄された年でした。
旧ユーゴスラビアは、冷戦後の1992年から始まり、95年にボスニア内戦が終結した旧ユーゴ紛争によって、六つの共和国はそれぞれバラバラになりました。コソボとは、かつて旧ユーゴスラビアを構成していたセルビア共和国の南部にある、モスレムのアルバニア系が多数を占める自治区の名前です。長年、ここでは少数派のセルビア系の人権が抑圧されていましたが、セルビアに強硬派のミロシェビッチ大統領が登場すると、アルバニア系の自治権を取り上げるなど、逆にアルバニア系に対して強硬な態度に出ました。紛争が激化するなか、和平交渉も頓挫、遂に99年3月、セルビアをコソボから撤退させるべく、アメリカを中心にしたNATO軍が対セルビア空爆に踏み切りました。次の英文は、以上を背景にしたコソボ空爆の是非を論じるものなのです。
まずは最初の三行から。文中で上級編で難しいと思える単語は、せいぜいsovereignty, slaughter, intervention, 高校レベルの英語で出てきたのではと思えるのが、innocent, prevent, consent, assume, あとは多少専門的な用語になりますが、Charter, Security Council 等々でしょうか。でも辞書を引くのはまだ無しにしておきましょう。
そして初めから順に、長い文章はぶった切って見て行きましょう。自信が無い単語はしばしそのまま放置しておきましょう。
「国連Charter は認めない/ 国家や地域軍事機構が、他国のsovereigntyを侵すことを/ innocentな一般市民のslaughterを防ぐために/ その対象国家のconsentがあるか、安全保障理事会がそのinterventionを許可したのでない限り」
まだちょっと一般論なので、分りにくい部分もあるかも知れませんね。
これを先ほどのコソボを巡る背景説明に照らし合わせて補充して若干意訳すると、次のようになります。
「国連Charter は認めない/ 米国・NATOが、セルビア共和国のsovereigntyを侵すことを/ innocentなアルバニア系市民のslaughterを防ぐために/ NATO空爆に対するセルビア共和国のconsentがあるか/ 安全保障理事会がその空爆interventionを許可したのでない限り」
こうなってくると、英語自体よりも、ここまでその言わんとする内容が分かってきて、自信が無かった単語も、うっすらとイメージは出来てきますね。Charterは、英単語の問題というより、社会問題の知識で、国連憲章ということです。
Sovereigntyは発音も意味も難しい単語ですが、国家「主権」ということですね。株式投資などやられている方は、ソーブリンリスクということで、すでにご存じでしょう。広くは使われないけど、ある分野ではすでに日本語に入っている単語の事例です。Innocentも、「罪のない・無辜(むこ)の」ということです。辞書には「無邪気な」と言う意味があると思いますが、ここではしっくりきません。
Slaughterは虐殺と言う意味です。さてconsentですが、是非、皆さんにはインフォームドコンセントという言葉を思い出して頂きたいです。医師から「正しい情報を伝えられた上での合意」ですね。となると、セルビア共和国のconsentは合意・同意ですし、最後のinterventionは、これこそラテン語起源の単語で、inter- (間に) venīr(来る)で「介入」ということですね。ラテン語を知らなくても、これなら第二外国語としてフランス語をかじったことがあれば、十分に分るレベルの話ですね。というわけで、とてつもない高いレベルの英文でも、いとも簡単に以下のように訳せます。
「いくら罪のないアルバニア系市民の虐殺を防ぐための人道目的とはいえ、NATO空爆に対するセルビア共和国自身の同意があるか、それとも国連安全保障理事会がその軍事介入を許可したのでない限り、NATOがセルビア共和国の国家主権を侵すことを、国連憲章は認めない。」
さて次の4行です。
すでに最初の3行を読んできて単語に慣れていますから、もう難しいと言える単語は無いでしょう。敢えて言えば、Priorに自信がない人がいるかどうか。
でもドンマイ(don't mind)です。
「コソボ紛争までは/ 冷戦後の期間のpriorの(な?)全ての軍事介入は/ 対象国の同意があったか、安保理の承認があった/ 実際に軍事介入が行われる前までに。コソボにおけるこの度の空爆は、しかし状況が違った。」
既に英文読解が、かなり簡単に思えませんか?文脈から明らかなのは、「コソボまでは、こうだったが、コソボで全てが変わった・・・」ということを強調しているわけですから、priorは、「以前の」「その前までの」と言う意味ですね。
辞書を見なくても、文脈が教えてくれます。とうわけで、英文は以下のように翻訳できます。
「コソボ紛争までは、冷戦後の期間のコソボ以前の全ての軍事介入において、実際に軍事介入が行われる前までに、対象国の同意か、安保理の承認があった。コソボにおけるこの度の空爆は、しかし状況が違った。」
この調子で一挙に読み終えましょう。分からない単語があるかも知れませんが、気にしないで読んでいく方法がすでに少しは身に付いたのでは?
「それは何故なら、米国とそのNATO同盟国が知っていたから/ ロシアと中国の支持を得ることが、不可能ではないにしても困難であろうということを/ セルビアに対するNATO空爆作戦に対し/ こうして同盟国は安保理の承認無しで、紛争に関する権限をassumeした/ 安保理がeventuallyにでも本作戦に支持を与えてくれることを期待しながら。」
もうすでにほぼ完全な訳文が完成していますね。二つの単語も、辞書を見るまでも無く、assumeは権限を「獲得し行使する」と言う意味でしょうし、eventuallyは、これからのことを言っているわけなので、「結局は」「最後には」「ゆくゆくは」などという意味であることは勘で分かりますね。というわけでより完成された訳文や以下のようです。
「それは何故なら、セルビアに対するNATO空爆作戦に対してロシアと中国の支持を得ることが、不可能ではないにしても困難であろうということを、米国とそのNATO同盟国が知っていたからだ。こうして同盟国側は、安保理が結局、事後的にでも本作戦に支持を与えてくれることを期待しながら、安保理の承認無しで、紛争に関する権限を獲得し行使したのである。」
では全体をまとめて読んでみましょう。
「いくら罪のないアルバニア系市民の虐殺を防ぐための人道目的とはいえ、NATO空爆に対するセルビア共和国自身の同意があるか、それとも国連安全保障理事会がその軍事介入を許可したのでない限り、NATOがセルビア共和国の国家主権を侵すことを、国連憲章は認めない。
コソボ紛争までは、冷戦後の期間のコソボ以前の全ての軍事介入において、実際に軍事介入が行われる前までに、対象国の同意か、安保理の承認があった。コソボにおけるこの度の空爆は、しかし状況が違った。
それは何故なら、セルビアに対するNATO空爆作戦に対してロシアと中国の支持を得ることが、不可能ではないにしても困難であろうということを、米国とそのNATO同盟国が知っていたからだ。こうして同盟国側は、安保理が結局、事後的にでも本作戦に支持を与えてくれることを期待しながら、安保理の承認無しで、紛争に関する権限を獲得し行使したのである。」
皆さん、難解な長文でも、メソッドさえ踏んで読めば、何も恐いものは無いことが、以上で良く実感していただけたでしょうか。あれほどの文章がほとんど辞書なしでも読めるのです。
再度、読解の5つのポイントを列挙しておきます。
1 知らない単語に一喜一憂しない、辞書よりも、脈絡からおおよその意味を
捉えよう!
2 特に副詞・形容詞などが分からないのは、大勢に影響なし、当面無視!
3 挿入句なども、混乱するようなら、当面無視!もともと追加的なものでしか
ない!
4 長く繋がった文章でも、句読点とかでぶった切って、頭から順に読んで
いく!
5 そのテーマ、内容に精通していれば、英語はもはや問題にはならない!
(続く)
タイトル 『目から鱗! 気分を変えて英語に向き合う処方箋!』 ~ 理想や虚像に幻惑されないで、足元から着実に ~
千葉大学教授 小川秀樹 (国際社会論・グローバル人材論)
1956年生まれ。79年、早稲田大学政経学部卒業、ベルギー政府給費でルーヴァン大学留学。国連ESCAP(バンコク)、在イスラエル日本大使館勤務等を経て、横浜国大大学院博士課程修了。岡山大学教授等を経て、2016年より現職。
著書に『ベトナムのことが3時間でわかる本』(明日香出版社)、『あなたも国際貢献の主役になれる』(日経新聞社)、『ベルギーを知るための52章』(明石書店)、『学術研究者になるには 人文社会系』(ぺりかん社)、『国際学入門マテリアルズ』(岡山大出版会)等、多数。
カンボジアのストリートチルドレンが何故、英語を喋るのだろう?
―「英語がペラペラ」「英語をマスターする」という大いなる幻影
筆者は長い間、国際舞台で仕事をしてきて、多くの国を訪問してきましたが、なかでも内戦から和平に向かう1992年春先のカンボジアを訪問した時の感動や衝撃を今でも忘れることが出来ません。激動する国の姿に感動したわけですが、人々の姿にも感じるところが多かったと思います。とりわけ、それまで閉ざされていた国だったものが、突然世界に開かれた社会で、続々訪問する外国人に対して、子供たちが英語で、新聞や花を売りつけたり、父親のタクシーに客引きをする姿にかなり衝撃を受けました。当然、学校へほとんど行けていないであろうストリートチルドレンのような彼らが主として英語で商売しているわけで、もちろんごく限られた単語、表現を用いての会話ですが、それでも食っていくためには英語が必要と考え、賢明に努力しているのです。他方で、市内中心部の有名校と思しき学校周辺へ行くと、今度は裕福そうな生徒たちが、時間外で私塾に通って、英語を学んでいました(当時はフランス語の塾も多くありました)。
カンボジアの子供たち
それ以降、定点観測をするフィールドワークの国としてカンボジアを文字通り毎年訪問しています。初めは政府のお役人も英語が喋れる人がいなくて、むしろフランス語とロシア語の方が良く通じていたものでした。しかし時間の経過とともに、というか、僅か数年のうちにかなりのお役人たちが英語を話し始めたのです。
さらにそれより前の80年代中盤、筆者は国連勤務でタイのバンコクに住んでいました。当時はアジアで植民地を経験してないタイ人と日本人が一番英語が下手と言われ、日本人自身も自嘲気味にそう言っていた時代でした。ところがどうでしょう、あれから30年経過し、大学教員になった筆者は、アジアの大学から学生たちをほぼ毎年、日本に招くのですが、アジアの若い学生たちは、シンガポールやフィリピン以外でも、皆、英語が上手くなっています。タイ人の学生も英語が格段に上手くなり、今やアジアで英語が一番出来ない国民に日本人がなってしまったのです。それは主観的だけでなく、TOEICやTOEFLのスコア等によって客観的にデータで示されてもいます。こうして筆者は、日本人にとって英語って何なのだろうと30年間、考え続けてきました。
そしてある結論に至りました。日本人は完全な英語が出来る状態(ネイティブのような)を目標に真面目に挑戦しようとして、多くの人が挫折し、脱落しているのだと。シェークスピアや洋画の英語が理解出来る理想から出発するのです。
いきおい、一通りの文法や一定以上の語彙数がないと、英語など上手く喋れるはずがない、「英語をマスターする」という強い意志で勉強あるのみだし、それまでは中途半端でブロークンな英語はみっともないし恥ずかしい・・・という減点主義の考え方に陥ります。「あの人は英語がペラペラだ」という羨望を含んだ表現に、全てが凝縮されています。それだけネイティブスピーカーのように喋れるか否かが基準になっているというわけです。
他方、カンボジアのストリートチルドレンの場合は、"You need (a) taxi?"と、疑問形でもなく、語尾を上げるだけの聞き方で、単数か複数かも定かでないような、二つか三つのフレーズからスタートして、日々、語彙やフレーズを増やしていくのです。そこには挫折も脱落も無いのです。ましてや恥ずかしいとか、イントネーションがどうとかの問題とも無縁です。客を一人捕まえると、彼自身も含めて、一家がその夜、食にありつけるというわけです。
英語を主要学科・受験科目と考え、勉強しようとすることが間違い
そのように考えてくると、ある現実に気付き、そして直面します。明治以降、日本は大陸ドイツ風の教育制度を導入し、学問も、先人が打ち立て集大成した塊を体系的・演繹的に学んで行くという癖がついています。総論優先と言ってもいいでしょう。語学のクラスでは、テキストを読んで、先生から一方的にグラマーと語彙、難解な長文の読み方を教わっていくということです。それに対して英米流では、個別の事実や現象の積み重ねから、帰納的に、次第に高みや本質に迫って行きます。語学クラスであれば、双方向の具体的なコミュニケーションが重視されるでしょう。
この学びの方法論を英語の学習に即して言うなら、ドイツ風に、まずは一通りの文法や最低限の語彙などをマスターすることに重くアプローチは、幸運にもそれが出来た人はよいものの(英語の得意な人)、その過程で挫折した人(英語の苦手な人)を生み出す危険なアプローチです。文系であれば、英語が得手不得手で、一流大に行けるか行けないかの分かれ道になります。特に私立大の場合は致命的にそうです。
でもこれまではそれでも良かったのです。英語の得意な人、そうでない人が浮き彫りになり、特に文系の人たちの、会社から見た優劣の人材選別が行われていったのです。そうして英語の嫌いな人を切り捨ててやってきたのが、これまでの日本ですね。理系の人は、英語が得意であろうが、苦手であろうが、後々、仕事の現場で、自分の専門分野において、嫌でも使わざるを得ないので、実践優先で、あまり問題になりません。
こうして文系で英語の得意な人は、自然と一流大学に集中して、他の分野もそれなりにやってきたのだろうという前提で、高評価を受け、大企業へと採用されていったのです。企業では日本語力とか歴史の理解とかをペーパーテストで試験をするということはあまりしませんから。それは大学のレベルで凡そ判断するとして。
しかしそのようなやり方では大きな限界に直面したのです。受験英語が得意な人で、単語を1万語知っている人でも、極論するならカンボジアの子供たちほどにも英語が喋れないという問題に。理系の人は、そもそもマインドや発想がグローバルな上に、英語など所詮道具だと割り切れるのですが、文系の人にとっては、英語は自分たちが重きを置いてきた重要科目で、最大の武器なのです。英語ができると言っても、TOEICでいえば、600点とか700点とかのレベルです。それが実践で使えないと分かった時の衝撃は察するに余りあります。
でも英語が好き(得意)だった人の場合、まだ良いのです。彼らは比較的、挽回するチャンスは多いでしょう。好きだからこそ一人でコツコツやれる人も多いでしょう。
問題なのは、それまでは英語が苦手で、それなりに就活や昇進とか、仕事上で制約を受けてきた人たちで、彼らは、英語が苦手だから仕方ないでは済まされない時代が来たということなのです。英語が苦手というだけで、進むコースが限られたり違ってきたり、持っている能力が発揮できないとするなら、本人たちにとって、そんな悔しく、勿体ない話は無いだろうし、それは社会の損失につながり、今やそのロスを社会は容認できなくなってきています。ならばその問題を解決するにはどうすればいいのでしょうか? (続く)
タイトル 『目から鱗! 気分を変えて英語に向き合う処方箋!』 ~ 理想や虚像に幻惑されないで、足元から着実に ~
千葉大学教授 小川秀樹 (国際社会論・グローバル人材論)
1956年生まれ。79年、早稲田大学政経学部卒業、ベルギー政府給費でルーヴァン大学留学。国連ESCAP(バンコク)、在イスラエル日本大使館勤務等を経て、横浜国大大学院博士課程修了。岡山大学教授等を経て、2016年より現職。
著書に『ベトナムのことが3時間でわかる本』(明日香出版社)、『あなたも国際貢献の主役になれる』(日経新聞社)、『ベルギーを知るための52章』(明石書店)、『学術研究者になるには 人文社会系』(ぺりかん社)、『国際学入門マテリアルズ』(岡山大出版会)等、多数。