挿絵画家、絵本作家として有名な安野光雅氏ですが、すぐれた文筆家としても知られ、数多くの著書があります。 『絵のある自伝』(文藝春秋刊 2011年)は、氏の生まれ育った山口県津和野の幼少時代に始まり、戦前戦中の学生時代、戦後には教員に就いてからの失敗話など、画家として大成するまでの苦難の歴史が、訥々(とつとつ)と語られています。 この本は「私の履歴書」(日本経済新聞 2011年2月)の連載に加筆したものとありますから、新聞で目にされた方も多いことでしょう。 ◆安野氏が画家になるまで 失礼ながら、安野氏が育った山口県の田舎ではプロの絵描きに会えることはめったになかったようです。氏は通信教育や入門書を頼りに、独学で絵を学び始めます。 人づてに名の通った絵描きが来たと聞くと、作品を持って押しかけたり、初対面であってもプロになる方法や絵の奥義を聞いてみたり。数多くの絵画ファンを持つ安野氏にしても、若い頃には涙ぐましいほどの努力をしていたことがわかります。 どうやったら絵描きになれるのか。いつも考えて生きていたから、安野氏のいまがあるということでしょうか。 とはいえ、いきなり絵描きだけで食べてはいけません。糊口(ここう)をしのぐための就職活動や面接で、いくつもの失敗がありました。ようやく教員になれても、安請け合いで専門外の音楽の授業を持たされ苦労した話など、決して順調な歩みではなかったようです。 安野氏はその当時を振り返っては反省します。 わかっていながらなぜ人は、やらずもがなの苦労と失敗につながる隘路(あいろ)に入り込むのか。 過ぎ去った過去に対して、たびたび自問しています。 しかしそれは結果を知ってしまった今だから、そう言えることなのです。 試練に直面していたその時は、自分が持ち合わせていた知識や行動力を精一杯使ってもがき苦しんでいたのです。 だからでしょうか。安野氏は当時の自分自身に対して、あくまでもやさしく懐かしむような語り口です。 失敗も後悔もいっさい包み隠すことない率直な筆に、読者はいつの間にか引き込まれていきます。 ◆戦争体験と戦時下の生活 1926年の昭和元年(大正十五年)に生まれ、昭和とともに歩まれた安野氏は、19歳にして「召集令状」を手にして入隊します。絵描き志望の繊細な青年にはつらい体験でした。 「防空演習」の実態、「千人針」のいわれ、「出征兵士の家」、「奉公袋」・・・。日本国民がみな連帯して耐えていた、戦時中の思い出が数多く語られます。筆者もこれを読んで、両親から聞くことのなかった戦時下の昭和の生活を初めて知ることができました。 2016年のキネマ旬報で1位に選ばれたアニメ映画、『この世界の片隅に』にも通じる、貴重な戦時下生活の記録ではないでしょうか。 本のタイトルの通り、氏自身の手による挿絵も収録されており、文章と一体となった絵を鑑賞しながらページを繰(く)る楽しさがあります。 そのなかでも、安野氏の渾身の力作、1970年の年賀状はぜひ見ていただきたいですね。 最後に、本文からひとつ抜粋。(水) 彼女はわたしにいった。 「ヒトリ ダマリノミチ ナガイ フタリ ハナシノミチ ミジカイ」 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ ■関連リンク 安野光雅美術館 公式サイト 安野光雅 未公認サイト annomi --------------------- 「できる!」ビジネスマンの雑学 ジャンル別 --------------------- 〇ニュースを読む 〇出来事 〇本・雑誌 〇IT関連 〇旅 〇食と料理 〇教育 |
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