羊の色は白からうす茶色と相場が決まっていますが、青森県で黒い羊、ブラックシープ(black sheep)が生まれました。
突然変異?真っ黒子羊誕生/おいらせの牧場
子羊の出産シーズンを迎えたおいらせ町のカワヨグリーン牧場で、真っ黒な毛の子羊が生まれ飼育員たちを驚かせている。同牧場によると突然変異とみられるが健康状態に問題はなく、他の子羊たちとじゃれあう愛らしい姿を見せている。
(Web東奥 2016年3月13日・青森のニュース) ※1
以前、アメリカ人の友人にブラックシープの意味をたずねたところ、
「家族の中でひとりだけいる問題児」
と返されました。
本当は地域や集団にいる厄介者らしいのですが、家族と言い切った彼には思うところがあったのでしょうか。
筆者がブラックシープを知ったのは、敬愛するボイントンさんのおかげでした。
ボイントンさんとは、太平洋戦争中に活躍した米海兵隊(マリーン・コー)の戦闘機パイロット。米パイロットが活躍したと言えば、そうです。ボイントンさんはゼロ戦キラーだったのです。
日中戦争時には傭兵としてフライングタイガースにも参戦した歴戦のつわものでしたが、何しろ酒癖が悪すぎました。上官をポカリとやっては後方にさげられ、日米開戦の頃には、田舎でガソリンスタンドの給油ボーイをやらされていました。
一念発起した彼は、海兵隊の上層部とかけあい、「ブラックシープ(baa baa black sheep)」なる名称の航空隊を編成し、太平洋を暴れ回ります。しかし、そんな彼も1944年1月、日本軍機28機目撃墜の直後、自身も撃墜されます。
あやうく南太平洋の藻屑(もくず)となりかけますが、通りかかった日本軍潜水艦に救助され、神奈川の海軍施設で捕虜となります。そこで彼を待ち受けていたのは・・・。
なぜか、日本料理の板場修業でした。ボイントンさんは日本酒の熱燗をつけるのが得意で、人の目を盗んで飲酒することが楽しみだったとか。アメリカ人の目を通して、戦争中の日本人の様子を描いた、貴重な記録となっています。
捕虜時代のエピソードは、彼の自叙伝に詳しく出ています。
『海兵隊撃墜王空戦記 零戦と戦った戦闘機エースの回想』(光人社刊・申橋昭(訳))※2
そんなボイントンさんですが、アメリカではエース・パイロットとして有名人で、戦後にはテレビドラマ「Black Sheep Squadron」も作られました。日本では対ドイツ戦線を描いた「コンバット!」は知られていますが、さすがにゼロ戦キラーのドラマは日本では放映できなかったようです。
このドラマを見たかった筆者は、ベトナム・ホーチミン市にてホテルのテレビでようやく視聴することができました。なぜ、ベトナムで放映していたのか。理由は定かではありませんが、それなりに楽しめました。もちろん、熱燗をつける捕虜時代のシーンはありませんでした。
映画監督か誰かが、日米合作でボイントンさんの捕虜時代を映画化してくれないかな。(水)
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※1 「Web東奥」のサイトへはこちらから3月13日に進んでください。
※2=2013年には文庫版が出ています。
『海兵隊コルセア空戦記―零戦と戦った戦闘機隊エースの回想』
(光人社NF文庫)
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