10月1日は国勢調査の日です。
日本では国勢調査は5年毎、10月1日午前零時の状態を記入する決まりから、10月1日が国勢調査の日となっています。2015年の今年はその5年ごとの調査の年にあたります。
今回は初めて、インターネットによる記入・回答が取り入れられ、ずいぶんと簡便化されました。(ただしインターネットでの記入は9月20日で締め切り)
国勢調査2015(総務省統計局)
この国勢調査、アメリカではある企業の誕生と大企業へと成長する足がかりとなったことでも知られています。
その企業とは、かつて「巨人」と恐れられたIBM(International Business Machines Corporation)です。
1890年、アメリカの国勢調査を行うにあたり仕事量を見積もったところ、統計をまとめるのに13年かかると予想されました。これでは5年後どころか10年後の国勢調査にも統計が間に合いません。そこで5年ごとの調査ルールを維持するため考案されたのが、パンチカードによる集計方法でした。
この方式を考案した職員が起業した会社こそ、IBMの前身と言われています。
参考サイト:統計Today No.27 「コンピュータの半世紀 - 国勢調査を支える情報技術」(総務省統計局)
パンチカードで国民の統計ができるなら、経理や各種演算にも使えるはず、とIBMは機械式のパンチカードシステム、社名にあるビジネスマシンを誕生させました。まだコンピュータが登場する50年も前のことです。
そして、20世紀初頭、パンチカードとキーパンチなどの演算機械がアメリカのオフィスに次々と導入されていったようです。アメリカの古いモノクロ映画やドラマなどで、オフィスガールがキーパンチャーと呼ばれて、パンチカードを打ったり、カードの束をめくったりするシーンは、このことを意味していたのですね。
おそらく40代以上の方は、学校や試験会場でマークシートやパンチカードそのものに、米粒のような四角を鉛筆で塗りつぶした経験があると思います。それがパンチカードです。
参考サイト:ウィキペディア・タビュレーティングマシン(Tabulating machine)
意外なことに、この頃IBMの一番の収入源は、こうしたビジネスマシンの開発や製造・販売ではなかったのです。
一番の稼ぎ頭は、パンチカードでした。パンチカードは一度穴を開けると再利用できません。IBMのビジネスマシンを使い続ける限り、大量の新しいパンチカードが必要だったのです。そしてパンチカードの製造販売は、IBMが独占していたのでした。
永遠に利益をもたらしてくれるはずのパンチカードシステムも、1950年代に終わりの日が来ました。電子コンピュータができたからと思いがちですが、違いました。
それは顧客からのクレームでした。
「おたくのパンチカードでうちのオフィスがパンクしそうだよ。まさかパンチカード用にビルを建てろというんじゃないだろうね」
(参考資料:『IBMの息子―トーマス・J.ワトソン・ジュニア自伝』 新潮社)
(水)
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